『てんから』と『テンカラ』と『TENKARA』

『てんから』と平仮名で書くからにはそれなりの意味があります。
 そもそも片仮名は外来語を日本語表記するときに使うのですから、日本の伝統釣法のことを片仮名で表記するのは間違っているように思われがちです。でも、これには深い意味があるのです。
 昔はてんからの事をただ『毛鉤釣り』と言ったり『ふっとばし』と言ったり『喧嘩』と言ったりして来ました。完全なる平仮名表記です。しかし、ここに海外から入ってきたフライ・フィッシングのエッセンスも取り込んだことから片仮名表記となったのです。

 先に書きました様に、てんからはそもそもは職漁師の釣りです。職漁師はどれだけの時間にどれだけ釣れるか?をいつも考えています。要は効率です。効率を考えた場合、そのポイント、時間などで竿、糸、毛鉤を変えていたのでは埒が上がりません。そこで職漁師たちは毛鉤を含めた総ての道具を変えずに手技で対応していたようです。例えばフライ・フィッシングでは毛鉤一つとっても狙うタナ(レンジ)に合わせてドライ・ウェット・ニンフなどを使い分けます。加えて糸もドライ、シンキング、ティップシンクなどの使い分けをするのでとても複雑なことになります。ところが、職漁師たちは一本の毛鉤でその総てのレンジを釣ります。というよりそのレンジまで魚を引きずり出してしまうのです。
 ちょっと具体的に話しますと、例えば水深2mの場所の底に魚が居たとします。フライマンはまず沈めるタイプのニンフやウェート(レッドワイヤーなど)を仕込んだ毛鉤を選ぶことが多いでしょう。そして、ラインもシンキングを使ったりするかもしれません。そして毛鉤の重さ、魚までの距離、流れの強さなどを考慮して糸(ライン)を決め、糸が決まるとそれに適合した竿を選んで使います。てんからは竿も糸も毛鉤も選ぶ余地がないのでいつも通りの仕掛けです。まずポイントに毛鉤が届く位置に立って振り込みます。この時フライ・フィッシングは有利です。何せリールには長大な糸が巻いてあるので好きなだけ出せます(そこまで飛ばす技術があれば)。よってより遠い場所からのアタックが可能だからです。一方てんからは決まった竿で決まった糸ですから魚までの距離もフライ・フィッシングよりは近いです。それゆえそれなりのテクニックが要ります。俗に『木化け石化け』と言われるものです。で、キャストするのですが、フライ・フィッシングはすでに計算された道具を使っているのでそのイメージ通りに行けば魚の目の前に毛鉤が行きます。てんからはいつもの毛鉤で流れを読んで、その魚の目の前に行く流れを見つけ出し、そこに振り込んで魚の目の前に毛鉤を運びます。ところが思った以上に流れが速くて1mくらいまでしか毛鉤が沈まない状況で、魚の目の前にまで毛鉤が沈む前に流されてしまったとします。こんなとき、てんからは流す筋を変えたり誘いを掛けたりして魚を毛鉤にまで引きずり出します。てんからは竿が長くて糸が立ちますから縦横自由自在に、しかも絶妙に毛鉤を操れるのです。フライ・フィッシングもそういうことをしますが、所詮竿が短くて糸が重たいですから現実として縦の誘いは苦手で、横の誘いがメインになります。誘いではてんからに劣るものの、色々なタックルを用いることによって毛鉤を魚の目の前に運べるので、誘いという技術は必要ではなく、基本はナチュラル・ドリフトなのです。
 この例はとても解り易いと思います。結局のところ、フライ・フィッシングは道具に頼る部分が多く、てんからはテクニックに頼る部分が多い釣りなのです。勿論フライ・フィッシングでもただ流すだけではなく誘いを掛けたりするテクニックもありますし、てんからにでもナチュラル・ドリフト風の釣りをすることもあります。でも、基本的な両釣法の考えかたとしてはこういうことだと思います。こんな事から、フライ・フィッシングで使われる毛鉤は種類が多く、とてもリアルに出来ています。釣り場に持って行く道具も多いです。一方てんからはほとんどの場合、自分の釣りに特化した一種類の毛鉤とラインと竿だけ持って行けば事足ります。てんから毛鉤は見た目はただのゴミにしかみえない物もあるくらいノン・リアルですが、釣り師が命を吹き込み、まるで虫のように魅せる動かし方をすることで魚に口を使わせるのです。

 だったら、てんからでリアルな毛鉤を使って虫のように動かせばより効果的ではないか?と思う人が多いかと思われます。確かに一理あります。そしてそれを最初にやったのが(故)堀江溪愚氏でした。彼は毛鉤は勿論、ラインまでフライ・フィッシング用の物を使ったテンカラを完成させました。いわゆる“アーバンテンカラ”と言われるものがそれです。彼のテンカラは基本的にはフライ・フィッシングとてんからの中間に位置します。そして、彼のテンカラはどんどん進化して行き、現在ではテンカラの世界でも平気でドライだとかビーズヘッド(以下『BH』に省略。毛鉤の頭に金属製の玉を付けてオモリにする底を釣るための玉)だとかの単語が使われるようになっています。しかし、こういうものは本来のてんからにはあり得ないものでした。そして最近ではドライ(浮く毛鉤)で釣ったとかウェット(沈める毛鉤)で釣ったとかがテンカラの世界でも平気で言われています。しかし、本来の古式てんからにあっては一つの毛鉤でフルレンジが釣れるのでそういうことは話す事はありませんでした。ですから、僕はこういう最近のてんからを『
テンカラ(かたかなてんから)』と言い、本来のてんからを『てんから(話すときはテンカラと区別できるように『平仮名てんから』とか『古式てんから』という事もあります。)と使い分けています。また特に最近ではアメリカやヨーロッパでもそのコンパクト性からてんからが注目され、てんからをやる人が多くなってきています。ただ、僕が知る限りではあくまでもてんからの道具を用いたフライ・フィッシングの延長線でしかないように思えるので、こういうてんからを『TENKARA』(アルファベットてんから)』と呼んで使い分けています。
 日本で行われているのはてんからとテンカラですが、同じ発音であってもその釣り方にはかなりの違いがあります。勿論オーバーラップするところもあるのではっきりした境目があるわけではありません。しかしながら、釣り師には大きな違いがあります。

てんから師 テンカラ師
毛鉤 比較的無頓着
色にも無頓着
ほとんどの場合一種類でサイズは何種類か
気にする人が多い
色にも気を使う
サイズも様々な物を使うのでミッジサイズから持っている
誘い かなりうるさくてシビア 比較的ルーズ
ハリス 無頓着
比較的太い
けっこう気にする
細いハリスをよしとする
仕掛けの長さ 概ね竿の長さかそれ以下 概ね竿の長さかそれ以上
自作の糸を使う人が多い
テーパーラインを使う人が多い
市販の糸を使う人が多い
レベルラインを使う人が多い
道具 普段の生活用品などもどんどん利用する 専用の物を購入する
容姿 他人の目は気にしない。
とにかく機能的なものを選ぶ
見た目に良いものはどんどん取り入れる
格好良ければ多少の機能は犠牲にする


細かいところまでを挙げているときりがないので、概ねこの位の違いがあるということです。

 ではてんからとテンカラのどちらが釣れるのか?・・・はっきり申しましててんからだと思います。何を根拠にそう言えるかといいますと、職漁師たちは一日一束くらいは普通に釣っています(農山漁村文化協会『職漁師伝』より)。それも型を揃えて。しかし、今主流となっているテンカラを代表する方々に普通に一日一束を釣れる人がどれだけいるでしょうか?そう考えれば判る事です。テンカラの創始者とも言える堀江氏に、僕が唯一一束釣り(あまご)をしたときにお話したらすこぶる関心しておられました。つまりテンカラはその創始者でさえもなかなか束釣りは難しいということです。時代が違うとは言え、『職漁師伝』の著者である戸門氏に直接聞いたところによれば、現在でも渓魚をてんからで釣って生計を立てているいわゆる職漁師と呼ばれる方も僅かにいて、注文さえあれば100匹や200匹は平気で釣って来るそうです。こんなことから両者を比較した場合は確実にてんからに軍配が上がるのです。実際、僕も凄腕のてんから師の釣りを見たことがあります。それは新潟のある中規模河川でのことです。上流でそこそこ楽しんだ僕は、夕方に下流に下りて型狙いをしていまいた。当然ですが型狙いはほとんどの場合ボーズです。そしてもう暗くなる寸前に1mほどの砂防堰堤の下で釣っていて、ここを釣ったらお終いにしようと考えていた矢先でした。対岸に軽トラが現れ、竿を伸ばしながら中年の男性がいきなり川に立ちました。すぐに竿を振り出して(多分仕掛けも毛鉤もセットされているのだと思いました)、数投目には一匹。そして後半は竿を振る毎に魚が釣れてました。しかも水面で一度もバシャバシャってやらずに即抜きでしたので、遠目で見ていた僕にはまるで、魚が独りでに飛び出して来ているように見えました。で、掛けた魚はカツオの一本釣りみたいに後ろに放り投げ、20匹くらい釣ったら後ろに落ちた魚を回収してすぐに帰って行ってしまいました。その間10分くらいだったと思います。まるで狐につままれているような光景でした。あんなペースで釣られたら100匹や200匹を釣る事はさほど難しいことではないと思えます。その後、このことを上記の戸門氏に話したら『軽トラで来て、ダダって釣ってすぐ帰っちゃう人?こんな感じ(容姿)の人じゃなかった?』と言われたのがまさにその通り。山里に精通している彼は、そのてんから名人をすでにご存知のようでした。今思えば紹介してもらっててんから指南しておけば良かったと思います。
 このように、てんからはテンカラに比べて恐ろしいほど釣れる釣りです。しかし、そこまで釣れるようになるためにはそれ相応の切磋琢磨が不可欠だと思います。軽めの釣り人が多くなった現在、『努力』とか『忍耐』とかはウケない時代です。ですからこういう重たい釣りはもてはやされないのだと思います。しかも今の時代は沢山釣る事は悪しとされる時代です。それよりも如何に一匹の魚に対峙して楽しむかに重点が置かれるようになりました。よって、こんな比較をする事自体が時代に沿っていないのでしょう。僕は決しててんからを否定するわけではありません。勿論テンカラも否定しません。こんな時代ですから各々が一番楽しいと思える釣りをすればいいと思います。しかし、ここで言いたいのは『沢山釣る事≠魚いじめ』ということです。よく『釣れないor釣らないorリリース=渓魚に優しい』みたいな言い方をされる人がいますが、そういう方は『渓魚に優しい=釣りを辞める』と言って欲しいです。釣りは基本的に魚の口に鈎をさして吊り上げてしまう娯楽です。どんなことをしたって、どんな理由付けをしたって、決して魚に優しいなんてことは言えない娯楽です

 僕が実際に見た究極のてんから・・・それは魔法のような釣り。水中から渓魚が独りでに飛び出すような、そんな釣りでした。