甘えんぼリッキー

[購入の動機]
 久し振りに、そして今回初めて自分の意思で犬を買った。2001年12月26日生まれのドーベルマン。雄。
 そもそも犬を飼おうという動機は、その昔テレビで見た番組がきっかけだった。その番組は元と現の泥棒や空き巣達が出演して(勿論、顔にはモザイクがかかって音声は変えてある)、その手口を公開していたのだ。バブルが崩壊してからというもの、生活が苦しくなった人たちがこういう物騒な事件を起こし、昔のように安心して家を空けられなくなった状況があった。

[事件その1]
 そんな折、我が歯科医院に異常者が入ってきた。これは泥棒とか空き巣ではなく、診療中に突然入って来て(患者さんではない)待合室で突然暴れ出したのだ。受付嬢もあまりの唐突さに驚き泣き出す始末。待合室に置いてあるソファーなどを蹴ったり投げたり、壁を蹴ったり殴ったり・・・・。他の患者さんが怪我をしそうな気配。当然ながらその時僕は診療をしていたが、待合室のドタバタ騒ぎにすぐに診療を中断して待合室に向かった。すると受付嬢が泣いて走ってきて『先生大変です。訳のわからない人が入ってきて突然暴れ出しました』と。『解った』とだけ言って僕はすぐに警察に電話した。110番通報だ。電話に出て来たオマワリは実にのんびりしていた。そして『どんな状況なのか?』とか『どんな人なのか?』など下らないことを質問された。状況としてはそんな場合ではない。他の人が怪我をしそうなのだ。それを言っているにもかかわらず、そんな馬鹿な質問をして来るオマワリの頭の悪さには脱帽した。そこでとりあえず住所と名前と役職を伝え『なんでもいいからすぐに来て下さい。怪我人が出そうです』とだけ言って向こうの話は聞かずに電話を切った。こんなやり取りだったので、すぐに警察が来ないことは充分に想像できた。警察は信用できないと思った僕は、僕が頼んでいる警備保障会社(セコム)にも電話した。流石に高いお金を支払っているだけあって、何にも聞かずに『すぐに行きます。そこにいてください。でも危険を感じたらすぐに逃げてください』とだけ言われた。そしてそれから再び受付に向かった。受付嬢と他の患者さんはただ呆然と立ちつくしている。そして受付嬢が『今出て行ってしまいました。』と僕に告げた。目の前には荒れ果てた待合室が・・・!。呆然と立ち尽くす患者さん達に向かって『皆さん大丈夫でしたか?怪我はありませんでしたか?・・・・・何なのか全く解りませんがとにかくお騒がせ致しました。』と謝った。幸い怪我人は無かったが、待合室のソファーをはじめ色々な物がグチャグチャに壊されていてかなり暴れた様子を物語っていた。そしてその時セコムがの人が来た。通報から約3分。そして『(犯人は)どこですか?』と聞かれたので、『今さっき出て行った』と事の成り行きを素早く伝えると、『解りました』と言いながらグチャグチャにされた待合室を見て『結構やられましたね。誰か怪我をされた方はいらっしゃいませんか?』と聞かれたので、被害は備品だけであることを伝えると『とりあえず怪我人も無く、不幸中の幸いですね。また来る可能性がありますので、そのときはすぐにまた電話ください』と付け足して彼の携帯No.を置いて出て行った。そしてそれに遅れる事40分。診療時間も過ぎて患者さんも全員帰って待合室を片付けていた時、派手にサイレンを鳴らして、しかもこれまた派手に赤色等を点滅させて2人のオマワリが来た。息を切らせて大袈裟に。そして高飛車に入ってきた。『犯人はどこ?』。僕は『・・・・』。わざとらしいオマワリの立ち振る舞いに呆れて言葉が出なかった(パトカーで来たのに何で息が切れるの・・・・?玄関前に車をドーンと止めて、せいぜい走った距離は多く見積もっても5m。これで息が切れるのなら運動不足もはなはだしい。)。そして『いくらなんでももう居ませんよ』と言うと『大丈夫でしたか?』とまたまたわざとらしい質問。(片付けしているんだからそんな事ぐらいわかるでしょう・・・・・?)『大丈夫です』と答えると『良かった良かった。警察に電話したので出て行ったのかなぁ。やっぱりそういう奴は警察が一番恐いンだ。』だって。するとそれに付け加えるように、もう一人のオマワリが『警察に電話するって事がやっぱり一番恐怖なンでしょうネ。やっぱり。警察が一番だネ』と自我自賛。もう呆れ果てて言葉が無い。まるで漫画だ。もうこんな奴らに構っていても仕方が無いので片付けを続け出したら『どんな状態だったのか?』と色々と質問して片付けの邪魔をしてくれた。『もういいです。お分かりいただけたと思いますが、もう犯人は出て行って居ません。明日の診療までにはここを片付けなくてはならないので帰ってください』と言うと『我々はあなたが110番通報をしたので、任務で来ているのです。状況を書類にして提出しなければならないのです。』とのこと。仕方なくたった5分くらいの出来事を、約2時間に渡って質問され、それをその阿呆オマワリが誤字脱字を繰り返しながら書類に書き込んで、そしてそれを見せられ『ここに印鑑かサインをお願いします。』と言って渡された。その書類には到着時間が実際よりもかなり早く書かれていた。ムッとしたが、こんな阿呆どもに時間を費やしていても無駄なだけなのでサインして早々に帰ってもらった。そして片付けを続けていたら、またドア越しに人の気配。とっくに診療時間は過ぎているので患者さんではない。『もしや・・・』と思って身構えた。するとピンポーンとドアホンが鳴った。出てみると先ほど来たセコムの人が立っていた。先ほど帰ったと思ったセコムの人が約3時間後にまた来たのだ。訳がわからないまま『どうぞ』と招き入れて再びびっくり。その人の頭から肩にかけて枯葉や蜘蛛の巣がいっぱい付いている。そして3度目のびっくりは『先ほどここを出てから、近所を見て回って来ました。そういう奴は近くに隠れていて、警察が帰った頃合いを見計らって再び来る事が多いのです。特にこの辺は林が多いですから丹念に見て回ったのですが、見当たらないのでこれでもう帰らせていただこうと思います。』と。出動が早いし、行動が正確。この会社は信頼できると思った。そして申し訳ないので、僕も疲れていたのでコーヒーで一服を考えていたところでした。しかし『勤務中ですから。何かあったら先の携帯に電話してください。私がすぐに来ますから』と告げてすぐに帰って行った。有難い事この上ない。
 後で友人にこのことを話したら、『当たり前だ。オマワリはお前が殺されたって怪我をしたって何もオトガメも無い。オマワリだって家族があって子供だっているだろうし、そんな異常者がいるとわかれば、我が身の安全を考えてそんなところには行きたくない。だから犯人が帰った頃を見計らって来るのだ。それに比べてセコムはお前に何かあったら保障しなければならない。』と言われた。・・・・流石に納得。これに返す言葉は無かった。オマワリの給料を払っているのは我々なのに・・・。
 実は何を隠そう、ここはあの埼玉県警の管轄。しかも天下の上尾警察だ。桶川女子大生殺害事件でその名を日本中、否、世界中に轟かせ、一躍有名になったあの堕落した警察署の管轄なのだ。要は日本一、もしくは世界一、もっともしかしたら宇宙一かもしれない無警備地帯。少なくとも日本ではNo.1のはずだ。そしてこの事件は、それを充分に認識させられた事件だった。

[事件その2]
 そのあと数年が過ぎて、あるとき女房に『パパは玄関を入るときに鍵を使ったことある?』と聞かれた。唐突な質問だったので、どう答えていいかわからず『いつも鍵がかかってるんだから使うに決まってんじゃン』とそっけない返事をした。すると『そうじゃなくって、ピポパでない方の鍵。』読者にはまったくわからない会話だと思うので説明すると、我が家の玄関は電子錠が付いている。数桁の暗証番号を押せば鍵が開くのだ。しかしその電子錠は電池で動いているので、電池切れを起こすと開かなくなってしまう。そこで電池がなくなっても強制的に開けられる鍵穴が設けられているのだ。そして女房はその強制解除をする方の鍵を最近使ったか?と聞いているのだ。僕のことをご存知な諸氏はお分かりいただけると思うが、僕の場合、そんないつ使うかも分からない鍵を僕が持っているはずはないのだ。『いままで一度も使ったことないョ。何でそんな事聞くの?』と聞き返したら『私も使ったことないんだけど、いっぱい傷がついてるの』・・・・????。これは放って置けない話だ。早速見に行くと鍵穴の周りに金属のプレートが張ってあり、そこに沢山の傷が残されていた。誰かが我が家に侵入しようとしたとしか考えられない。世間で流行っているピッキングって奴だ。

[犬種選考]
 ところで我が家は僕と女房と娘の3人家族。亭主(僕)はいつも釣りに出かけてばかりいる。しかも上尾署管内。だから出かけている間はどうしても不安が付いて廻る。そこで何か良い方法はないかと考えていた。そんな矢先、前述のテレビ番組を偶然にも見てしまったのだ、その悪党が一様に犬がいる家は嫌だと言っていたのだ。早速“犬を飼いたい”と言うと、幸いな事に家族は大賛成してくれた。僕が飼いたい目的は家族を守ってもらいたいから。でも家族は兄弟ができるみたいで(我が家は一人っ子だから)嬉しいということ。目的は違うものの家族の全員賛成を得て犬を飼うことに決定した。しかし、問題は娘の犬アレルギーだ。何処と決まってはいないが、僕の実家で飼っているヨーキーや女房の実家で飼っているシーズーに触れると、体のあちこちに発疹が出て痒がる。犬の毛が原因だろうがこれは問題だ。しかし、本人は犬が飼えるということで『絶対に慣れるから』と言い張ったので、“それならと”いうことになった。ガード犬として飼うのであるからして、女房・子供が思い描く犬との生活とは程遠い物になろうが、飼ってしまえば安心して釣りができるのだと思うと僕自身も嬉しくて仕方がなかった。犬種もポメとかヨーキーなどの小型犬では吠えるだけで実際に犯人が入ってきたときにはどうにもならない。そこでガード犬として飼うに当たってシェパードとドーベルマンの2種類が候補として上がった。しかしガード犬である以上、室内で放し飼いにしなければならない。そこで娘の犬アレルギーのために毛が短くて、尚且つ掃除のことも考えて(毛が短か太いので落ちた毛が舞い上がらない)ドーベルマンになった。
 そもそもドーベルマンという犬は第一次世界大戦の時にドイツのドーベル氏が殺人兵器として作った犬だ。よって飼い主には忠実で、且つ命令には確実に従う習性を持っていると聞いていた。どうもドーベルマンというと、映画『ドーベルマン』に出てくるあの獰猛な殺人犬をイメージしてしまうのであるが、購入前にインターネット等で色々と調べてみたら、確かにドーベルマンは殺人犬として作られた犬ではあるものの、その後アメリカに渡って形態はそのままでペットとして飼えるように改良されたそうだ。よってドーベルマンには外見は一緒だがドイツ・ドーベルマンとアメリカ・ドーベルマン2種類いて、ドイツドーベルマンは元からの殺人犬としての性質を持つが、アメリカドーベルマンは殺人犬としての頑強なる姿勢を持たず、案外と飼い易い犬に仕上げられているとのことだ。だからアメリカドーベルマンは僕が思っているような凛々しい犬ではなく、始終ダラダラしていて、尚且つ猫のようにいつも人にぺたーっとくっついている甘えん坊なのだそうだ。

[経験]
 我が家では小さい頃から犬を飼っていた。犬を飼うきっかけは何だったのかは判らないが、最初は雑種を飼っていた。その後血統証付きのスピッツ等も飼った。どれも長生きで10年以上は生きた。そのスピッツは気が強くてとても手を焼いたのを覚えている。しかし当時の僕は“血統証付き”というのを“決闘賞付き”と勘違いしていたので、この証書は強い犬に付いているのだと思っていた。だから手が焼けても僕には何の不思議も無かった。そして最後に飼ったのがヨーキー。こいつも気だけは強かったがなにせ体が小さいので特別苦労はしなかった。母が思うままに育てたので我侭三昧。食事だって生ハム以外は口にしないような生活をして、しかも散歩が嫌いな物だから母がいつも抱っこして散歩。これでは母の散歩になっても犬の散歩にはならない。よってブクブクと太って・・・。12歳の頃から自分の体重を支えきれなくなりビッコを引くようになってしまった。心配した母が動物病院に連れて行ったところ、獣医に『太り過ぎでレントゲンが通らない』と言われたほど(そんなことはありえないのだが、実際に言われたらしい)。しかし14年生きた。人間でもそうだが、痩せた人は神経質な人が多く、太っている人は意外と暢気な人が多い。どちらかといえば後者の方が付き合いやすい。犬も同じで、この犬は意外と暢気に生活していた。しかし、室内で14年という長い歳月が、犬とか人間とかの区別をなくし、いつしか友としてまた我家の癒し系生物として君臨し、ただの犬という認識をなくしていたのだ。いつの間にか信頼関係が成り立って、お互いがお互いを尊重するようになっていた。・・・不思議な関係。おもちゃであって、友達であって、良き相談相手であって・・・。そしてその犬もその日がやってきた。最後の3日くらいは立つこともできなかったので、近い将来その日が来るのは分かっていた。そして、とうとうその日がやってきた。診療中に『とうとう駄目そうだから手が空いたらすぐに来て!』との電話が来た。しかしご存知のように我々の仕事は自由が利かない。午前中の診療を済ませ、電話があってから約一時間も経ってしまったがすぐに駆けつけた。みんなに囲まれてその中心で母が犬を抱いていた。母の胸に横たわる彼は目を瞑っていた。荒い呼吸で胸が大きく動いていた。駆けつけた僕はすぐに彼の名を呼んだ。するとかすかに目を開いた。ほんのわずかではあるが確かに目を開けて僕の顔を見た。そしてすぐに目を閉じてまるで安心したかのような顔に変化した。そしてそれが彼の力で彼の目を開けた最後になった。その一分後くらいに急に四肢を突っ張って、みんなが呼ぶ声もむなしくその突っ張っている四肢、そして全身の力が抜けた。家族全員に見取られての大往生だった。到着してから10分も経たなかった。まるで僕が到着するのを待っていたようだった。                                   その後、しばらくは犬を見るのが嫌だった。母や姉は寝込んでしまった。僕ももう犬は飼わないと心に誓った。
 こんなことがあったので、犬を飼う事はもうないと思っていた。しかし、時が過ぎてみれば、散歩に連れている犬を見て『いいなぁ』と思ったり、テレビで犬の特集があったりすると録画してしまったり・・・。僕が戌年だからなのか?何故か犬には好かれる。その上、やはり戌年だからか?いままで危ないとされている犬でさえ何故か僕にはなついてくれる。犬には言葉が無いが、その声の強弱、高低、太さなどで感情を上手に表現する。だから僕も悲しいときには悲しいような声を出し、怒るときには太く大きな声を出す。そうすると犬は僕の気持ちを理解してくれるようで、大まかはコミュケーションはすぐに成り立つのだ。今までなつかなかった犬は友達が飼っている甲斐犬の一頭だけ。甲斐犬はその習性上、ご主人を一人決めたらそれ以外はなつかない犬なので仕方がない。
 そんなものだからやはり犬が飼いたくなった。しかし、犬が死んだときのあの気持ちを思い出すとやはり一歩を踏み出すことが出来なかった。友達にも『もう二度と犬は飼わない』と明言していたし、それでも寂しそうにしている僕を見かねて、一人の友人が血統証付きのビーグルを買ってきてくれたが、気持ちだけ頂いてお断りした。それほどまでに犬は人に近づいてしまうのだ。しかし、今回はガード犬を飼うという大義名文が立ってしまったのだからその壁は一気に崩壊してしまった。あくまでもペットとしてではなく道具として飼う。そういうことなのだ。

[購入]
 早速友人から紹介されたペットショップに電話して、ガード犬として良いドーベルマンはいないかと聞いてみた。ペットショップのオーナーは『もうドーベルマンはブームを過ぎてしまったので中々手に入れ辛いです。ですが少々お待ちいただければ・・・・。うちも全国ネットでやっていますから、良い子が生まれたらご連絡できます。』と言われた。その他飼い方なども聞いてみた。ドーベルマンはほとんどが外犬として飼われているので、僕のが考えているガード犬として室内で飼うことに不安があったからだ。そのオーナーはとても顔が広いらしく、親切にしかも実例をもって色々と教えてくれた。流石にプロを感じさせてくれた。で、この人から買いたいと思った。そして飼うなら大切に飼いたい。だからできれば良い犬を飼いたいと思ってそのペットショップにお任せした。約半年後、その人から電話が来た。そして『前橋で良いドーベルの子供ができた。他にも欲しい人がいるので、その人が決めてしまう前に行って見て頂きたい』と言われた。しかし僕にも仕事がある。丁度休みが取れない時だったので、行くことができる一番近い日にちを言うと『それでは無理ですから次回にしましょう』と言われ、その話はオジャンになった。家族みんなでがっかり。しかしその2週間後、今度は東松山で生まれたとのこと。しかも休みの前々日。早速家族で出かけてみた。まず親を見せてもらった。雌だった。かなり美しい。そして流石にドーベルマンらしく凛々しさの中に精悍さも兼ね持っていた。その親は全日本のチャンピオン犬だとか。我が家の場合、ガード犬としての購入なので親がチャンピオン犬であるかどうかは関係無いが、出来れば誰が見ても綺麗だと思われる犬がいいと思った。そして子供を見せてもらった。目がやっと開けるくらいの子供だ。5頭生まれて3頭が雌。2頭が雄だそうだ。先ほどの親からはとても想像がつかないほど可愛らしい。お腹ははちきれんばかりにまん丸。足が妙に太い。そしてその中でも特別太った犬に目が行った。抱っこをさせてもらったらやはりその犬だけが特別重い。雄犬だそうだ。僕はこいつが気に入った。なぜなら犬の場合、子供が複数生まれると、その子供の中にも権力闘争があって、強い奴が沢山のおっぱいにありつけるのだ。要は他の子犬をどけて自分が飲むわけで、我侭で他よりも強いという事だ。よって赤子ながらにしてガード犬としての資質をすでに備え持っているということだ。そして沢山おっぱいを飲んでいるという事は、健康状態が良いという事。僕の気持ちはこのデブの犬にどんどんと傾いていった。そして家族に『気に入った犬がいた?』と聞いてみた。そうしたら娘が迷わず『これ』と指を差したのは、僕が抱いているそのおデブな子だった。・・・・・決まった。そしてこの子犬に向かって『女房・子供を守ってくれナ』と心の中でつぶやいた。買うと決めてもまだ乳飲み子。すぐに持ち帰るわけにはいかない。だいたい生後2ヶ月までは親と一緒にさせておくのが良いと言われた。それでそれに従った。子供は持って帰ることができると思っていたらしく、少々拍子抜けした感じ。実は僕も同じだった。2ヶ月が待ち遠しくて仕方がない。待っている間、色々な人に犬を買ったことを話したので、その人達からいろいろと助言を頂いた。その中の一つに困った物があった。というのは“子供の頃にあまり太ったドーベルは成長した時には足が曲がってしまう”というものだ。確かに成犬のドーベルは足が細くてまるで馬のような体形だ。だからその成長過程であまりに負担が多すぎると足が湾曲して、そのほとんどが0脚になってしまうというのだ。健康で強い犬だと思って選んだのに、こんな弊害があるとは夢にも思っていなかった。早速ペットショップに電話してその辺の事を聞いてみた。すると『それは事実です。でも、そんな問題が出るほど太っているわけではないと思います。もしもお渡しするときにそんなことがあったらお売りいたしませんので安心してください。』と言われた。これは心中穏やかでない。足が曲がろうと、手が曲がろうと、僕が選んだ犬だ。あの選びに行った時点でもうすでにわずかながら心が通い始めている。きっとあいつだって『近い将来、あの人がご主人になるのだ』と薄々ながら感じているに違いない。犬はそういうところはとても敏感な生き物なのだ。だから、もしも足が曲がってしまっても、一瞬たりとも心が通じた仲だ。あの犬を飼う!。そう心に誓った。ペットショップにした自分の質問がとても愚問であったことに気が付いた。そうして再びペットショップに電話をして、その旨を伝えたら『先生は本当に犬が好きなんですね。きっとあのドーベルは幸せですよ。私としてもそのように言ってくれる飼い主はとても好感が持てます。犬語にして伝えたい話です。ありがとうございます。』と言わた。こうして足が曲がろうが切れようが、あの犬を飼うことに決定した。そうこうしている内に2ヶ月が経った。短いようで長い2ヶ月だった。ペットショップに引き取りに家族で出かけた。体がやっと入るくらいの檻に全身を振るわせながら一人でいた。名前は決まっていた。『リッキー』。力強さをイメージして“力→りき→リキ→リッキー”になったものと思う。娘が名付け親だ。早速『リッキー』と声を掛けてみた。当然ながら何の変化も無い。その間、ペットショップのオーナーは“手の甲が大きくて厚みがある”とか“足が長いから大きい犬になる”とか・・・・まるでペットショップのお手柄のようにこの犬の自慢をしている。しかし僕はまず足を見ていた。曲がっていたら可愛そうだと思ったからだ。幸い足は正常だった。それを見ていたオーナーも『大丈夫ですね』と念を押してくれた。
 僕はガード犬として飼うので耳は切らなくていいと思っていた。ところがペットショップのオーナーから『ガード犬にするならば尚更切って凄みを出した方が良い』と言われた。たしかにそうかもしれないが考えただけでも痛そうだ。そしてそれを言うと『みんなやっていて、聞いてみるとそんなに痛がらないみたいですよ』と教えてくれた。しかし、犬の痛さを誰が味わったのだろうか?とにかく僕が切られたのであればとても痛そうだ。しかし犬は大丈夫なのだろうか?とりあえずそれは保留にして、その足でオーナーの薦めで紹介された獣医に向かいワクチンを打ってもらった。
 そして帰路。ペットショップは熊谷そして我が家は上尾。よって車では概ね小1時間の距離だ。帰りの車中で車酔いをしたら可愛そうだと思ってゆっくりと運転して帰ってきた。普通、車に酔うと生アクビを連発し、ヨダレをダラダラと垂らすのだが。子供の内は車に酔うと眠ってしまう。そして案の定リッキーも娘に膝枕をして眠ってしまった。2日前に親から離されそして移動、新しい環境・・・。これらに疲れていたのか?車に酔ってしまったのか?は判らないが、とりあえず寝ているので家路を急いだ。我が家に到着した彼は、最初は静かにしているだろうと思っていたが、とんでもなかった。はしゃぎまわって部屋の中を駆け回り、そこら辺のものを手当たり次第に噛んだ。テーブルの支柱、壁が直角になった所・・・・等々。そしてしばらくはしゃいだ後は一気に眠ってしまう。何とヒューマンティックな犬なんだろう。まだ耳があるので見た目にはまるで寸詰まりのダックスフンドだ。


来て間もないリッキー。つぶらな瞳がキュート!

しかし、ダックスと違う点はその大きな足だった。確かにペットショップのオーナーが言うだけあって、ここだけはまるで大人の握り拳くらいはあるかも。そしてそのやんちゃ坊主のまま2ヶ月が過ぎた。

[断耳]
 そろそろ耳を切るならば切らなければならない時期だ。その後は半年間の訓練所行きも決まっている。耳を切るのは痛くない?これだけが気がかりだった。しかし犬になって耳を切られた事は誰もないのだからこれだけは決して想像の域を出ない話。でも一応もう一回ペットショップのオーナーに電話して聞いてみた。答えは同じだった。それで今度はこれからお願いする訓練所の人に聞いてみた。この訓練所はほとんどドーベルマン専門のようにやっているところなので情報が豊富なのだ。すると『切るのですから多少は痛がりますが、耳を切っていないドーベルマンは寸詰まりのダックスフンドみたいで間抜けですよ』と言われてしまった。そんな程度なら切るしかないだろう。そう思って訓練所の人に耳を切る獣医を紹介してもらった。
 しかし、問題に気が付いた。ドーベルを飼っている友人が『耳を切ったあとのケアは大変。何せ耳を立たせるので耳が立つまで板みたいなのを耳にあてがって、それをバンソウコウでくっつけて固定するのだが、犬の耳は油分が多いのですぐに取れてしまう。だから一日何回も付け直さなければならない。それをしないとみみが立たないのだ』と聞いたのだ。仕事があるので一日中付きっきりでいることなど到底無理。これは不可能だと思った。そこで訓練師にもう一度電話をしてみたところ『もしもよろしければこちらでやりますよ。だいたい1〜2ヶ月で立つと思います。』と言ってくれた。当然ながら切開部は化膿することだってありえるし、プロが見てくれるというのならそれに越した事はない。早速お願いしてこの問題はクリアーした。
 断耳の日は訓練所の人も付き添ってくれる事になった。川越で待ち合わせ、富士見の獣医まで行った。予約が入っていたので、早速断耳にとりかかった。診療台に乗せられたリッキーの腕の血管に麻酔を靜注。麻酔が効くまでの間に僕が歯科医師であることを訓練所の人が獣医に告げた。そして間もなくリッキーは崩れるように診療台に横たわった。呼吸は安定しているようだ。早速獣医はマジックと定規を取り出して耳の内側に線を引いた。それを見ていた訓練師は『それじゃ小さいでしょう』と苦情を言った。応えて獣医が『この犬は耳が薄いから大きくすると立たない。これが限界だ』と言い返した。それに対して訓練師は『足を見てよ!大きくなる犬だよこの犬は。こんなに小さくされたんじゃ格好悪くて仕方がない。あと5mm長くして。』・・・・・こんな具合に喧喧諤諤が始まってしまったのだった。しかし僕はそんな事よりも痛くないのか?だけが心配だったのでそのままやらせておいて、診療台に横たわるリッキーに向かって心の中で『頑張ってネ』を繰り返していた。しばらくして言い合いの埒が上がらないとみた獣医が僕に振ってきた。『僕はここまで大きくすると立たないと思う。立たなければ切る意味も無いし、格好悪さが余計に目立ってしまう。先生、どうしましょうか?』と。僕にとっての問題は耳の大きさの5mmがどうのこうのではなく、それよりも切った後の痛みだ。僕は獣医からの質問に答える前に、もう一度『本当に痛くないんですか?』と尋ねた。すると『痛くないよ。それよりどうするのか聞いているんです』とややカッカ来ている感じ。しかし経験もない僕はそんなことは判らない。すると訓練所の人が割って入ってくれて『耳を立てるのは俺だ。俺が立つと言っているんだから、5mm長くして切れ!』と。ほとんど投げ捨てるような言葉に獣医は『知りませんよ』とひとこと言って、切除線が新たに設けられた。そしてリッキーは手術台に移された。静かに横たわるリッキー。何をされるのかも全く知らされず・・・。『ごめんね!』。獣医は早速用意に取り掛かった。そして彼が僕に得意気に見せた物は安全ガミソリ。そして『下手に研いだメスよりもよっぽど良く切れる。だから術後の痛みも少ないし、予後が良い』と独り言のように言った。しつこいとは思いながらも、僕はもう一度『痛くないですよね』と繰り返して聞いた。『大丈夫です』と自信あり気に答えてくれた。そして切除。耳たぶだけを切るのかと思いきや、耳の中の軟骨まで除去する。きっとみんなこうしているのだろう。そして縫合。流石に経験豊富らしく、断耳手術は首尾良く約一時間半で終了した。
 そして事件はこの後に起こった。手術を終えた獣医は『それではこれから覚醒させます。暴れるのでみんなで押さえますので手伝ってください』と言うのだ。暴れる・・・???・・・やっぱり痛いんじゃないか。そりゃそうだョ切ったんだから。でも痛がらないって言われた。でもやっぱり切ったんだから痛いよ。心の中でもう一人の自分が本当の自分を制しているのに気付いた。とりあえずもう切ってしまったのだ。今からはどうしようもない。だから獣医の言う事に従った。純酸素を吸わされたリッキーは徐々に覚醒してきた。最初は目を開いた。麻酔で瞳孔が散大している。このような状態では眩しいだけで何も見えていないのだ。それにしても動かない。一瞬駄目かと思った時、彼は急に起き上がって伏せの状態になった。包帯でぐるぐる巻きにされた頭を両前足で抱え込み、そして『ン〜ッ。ン〜ッ。』と今までに聞いたことが無い声を発している。その声は泣き声ではなくうめき声のようにも聞こえた。しかし全く暴れる様子はない。すると獣医が『強い犬だなこいつは。全然動かない。こんな強い犬は珍しいですよ。』と一言。なッ何?・・・・痛がらないって言ったのに・・・・。しかし時はすでに遅し。リッキーには申し訳ないことをした。こっちの都合で、格好良いからとか凄みが増すからとかの下らない理由で耳を勝手に切られ、今、身動きが取れないほど激痛の中にいるのだ。僕は耐え切れず『リッキー』『リッキー』と何度も声を掛けた。主人が近くにいることを知れば、安心して痛みが少しでも和らぐのではないかと思ったからだ。だから何度も何度も彼の名を呼んだ。まだ瞳孔は散大しているだろうし、前足を頭に乗せているので目はその足の下で見えない。でも耳は聞こえているはずだ。僕が呼ぶ声に彼は全く反応を示さない。僕のむなしい声とリッキーのうめき声だけが何度も何度も手術室に響した。しばらく別室で訓練士と何かをしていた獣医が来て、そんな僕を見て、突然『こういう犬はそんなに甘やかしては駄目だ』と言い放った。・・・・・・これには僕は瞬時にキレた。痛くないと言ったのが実際には痛かった。こんなのはよくある話。僕らの日常だて同じだ。しかし、僕らの都合で激痛を強いられ、今、苦痛にけなげに耐えているリッキーが目の前にいるのだ。それを目の前にしてヘラヘラできるあなたは医者失格・・・いやいや医者以前に人間失格だ。そう思った僕は『先ほど先生は痛くないと言ったのに。こんなに痛がっているじゃないですか。』と口堪えをした。医者と名が付く人に初めて文句を言った。するとその獣医は『これは痛がっているのではない。麻酔から覚めてびっくりしているだけなのだ。』と返してきた。僕には犬の言葉が解る。・・・そうではない、痛いのだ。この医者は解ってない。そこで『本当に痛くないかどうか、あなたの耳を今ここで切って上げましょうか?そうすれば良く解ると思います』と言ってやった。僕の見幕をみて流石の獣医もまた別室に逃げ込んでしまった。そんなやり取りを見ていた訓練師が『先生が正しいと思います』となだめてくれた。その後リッキーは2時間くらい待たされ、徐々にうめき声も遠のいてきた。落ち着いてきたのを見計らって、訓練師が車の助手席に乗せて訓練所に向かった。

[耳の固定]
 訓練所に着いて訓練士に抱きかかえられながら車から出てきたリッキー。僕の『大丈夫でしたか?』の問いに訓練師は『疲れ果てていたので車の中では熟睡していました』と答えた。案の定、彼は寝起きの顔で僕の顔を恨めしそうに見ている。『ごめんねリッキー』と言いながら訓練師に抱かれたままの彼の背をなでた。もううめき声は無い。良かった。訓練士は『多分まだ2〜3日は痛みがあると思いますが、それさえ超えてしまえばもう後は痛まないと思います。』と言って僕を安心させてくれた。
 帰り際、わざと何気ない素振りで『バイバイ』を言うと『えッ。置いて行かれちゃうの?』とでも言いた気な表情をした。もう一度近づいて背中をなでながら『バイバイ』と言った。彼は訓練師の腕を解こうとした。やはり解るのだ。しかし全力で痛みに耐えた体に訓練士の腕を振り解くだけの力は残されていなかった。そして別れを惜しむかのように、そして悪事の後の退散のように僕はその場を去った。車の中で『かわいそうな事をした。これから僕の一生をかけてこの償いをするから・・・』と誓った。 
 家に帰ると、娘も学校から帰って来ていて、二人で声を揃えて『どうだった?』と聞かれた。正直に娘に言おうかどうかは迷ったが、“人間のエゴなんてこんなもんだ”ということを教える事も大切だと思い、今日の一部始終を正直に伝えた。僕の気持ちの中に『きっと悲しむだろう』という部分があったが、話し終えると何ともクール。女ってこんな生き物なのだろうか?
 翌日の早朝、訓練所に電話してみた。昨晩は訓練士が一緒に添い寝してくれたそうだ。『時折起きていたようだが、それ程痛そうではなかった』と言われた。ほっとした。その後3日間くらい続けて電話した。そして3日後には『元気に飛び回っていますよ。時折どこかにぶつけたりして「キャンッ」と言っていますが、その他は順調。実に痛みに強い犬です。こういう犬はガード犬にとても向いています。』とお褒めまで頂いた。
 そして1週間が過ぎ、週末に彼に会いに行った。どんな顔で彼とあったら良いのか?僕はあんなに痛い目に合わせた張本人だ。もしかしたら恨んでいるかもしれない。でも本当はあんなはずではなかったのだ。僕は乗せられただけ。どんなに時間がかかろうと、その事が彼には解ってもらいたい。訓練所に着いて訓練士としばし話をして、いよいよ訓練士が彼を連れて来る時が来た。不安いっぱいのまま彼を待った。そしてその直後、僕の心配は全く無用のものであることを知った。出て来た彼は僕を見つけるなり急にリードを引き、訓練士を引っ張りながらゼイゼイと荒い呼吸と共に僕に走り寄った。そして気が狂ったのではないかと思うほど喜んだ。僕に飛びつき、立ち上がって、また僕の周りをクルクル走り回り・・・・目が輝いている。しかしその耳はまだ白い布で覆い隠されている。本人はすでに痛くはないのだろうが、まだ新鮮な記憶が僕の胸を締め付ける。そしてあれほど痛い目に合わせた僕にこうして跳びついてくる彼のけなげさに、言葉では言い表わせない嬉しさと感動が・・・・・。胸がいっぱいとは正にこのこと。
 その後、毎週末、彼の所を訪れた。その度に彼は大ハシャギしてくれる。訓練士をも呆れさせる喜びようだ。体はどんどん大きくなり、それでもあまりにハシャグので10歳の娘は勿論、女房まで危なくて近寄れない始末。しばらく僕がなだめて、しばしの後、彼が落ち着いてからはじめて今度は女房と娘が触ることができるのだ。3週間くらいで包帯は取れ、今度は耳を立てるためにプラスティックの板をあてがい、それを幅広のバンソウコウで固定してあった。切られた面は以外にスムースだ。やはりあの獣医が言う通りやたらなメスより安全ガミソリの方が予後が良いのだろうか。
 そして2ヶ月が過ぎた。まだ耳の支えは外せない状態。訓練士が言うには『普通は2ヶ月くらいで立つのだが(獣医が言っていたように)、この犬は耳が薄いので立ちが悪い。』のだそうだ。しかしあとはとりあえずこっちでやってみる事にした。本当に立つのか不安ではあったが、ここで引き取らないともしも立たなかったときに総て訓練士の所為になってしまう。だからもしも立たなかった場合、少しでも訓練士の精神的負担を軽くして、『最後までやれば立ったのに、引き取られていったから立たなかった』と言い訳ができるようにした。すでに訓練士のお陰でほとんど立ってはいるが、ちょっと板を外しておくと耳先がすぐに垂れてきてしまう。実際にやってみると、しょっちゅう外れるものだからいつも注意していなければならない。そして外れたらすぐに再装着しなくてはならない。あるときなど、うっかりしていたら支えがなくなっている。そういえば何か噛んでいた。・・・・食べてしまったのだ。大丈夫だろうか。翌日、彼の糞の中に白いプラスティック板が確認できてほっとした。そしてこれに懲りてもう一度訓練所に戻ってもらった。すると2週間くらいして訓練所から連絡が入り、もう充分だとのこと。再び我が家に帰ってきた。

[訓練までの2ヶ月]
 確かにドーベルマンというと耳が立ってスラッとして凛々しいイメージだ。耳がダックスフンドのように垂れているとなんとはなしにおかしい気がする。リッキーも耳が立ったら急に大人びて見えるようになった。


耳を立ててるりっキー。娘がリード役。

大きな手、大きな足は健在。まだ子供とは言え20sを越す。普通の犬であれば充分に成犬のサイズだ。散歩に連れて行っても可愛いと言われた事は一度もない。通行人もみんな避けて通る。だから僕もなるべく人がいないような時間と場所を選んで連れて行く。それでも全く人に合わないことはない。交差点で出会い頭なんかでは『ウヮ〜っ!おっかねぇ!』なんてことは茶飯事。出会い頭でなくても『恐ヮ〜い!』などと言われることばかり。最悪は、狭い道のド真中で立ち話しているオバサンに『もっと端を通ってよ!』と言われた事。「道のど真ん中で話ししているお前らに言われたくないヮ」って感じ。あるとき自動販売機の前でたむろしていた女子高生から『可愛い〜ッ!』と言われた。やっと解ってくれる人がいたと思って近づいていって『可愛い?』と聞いたら『可愛い』ではなく、『恐い〜』の聞き違いだった。僕にとってはとても可愛いのに、やはりこの犬はその外見からかなり損をしていると感じた。
 2ヵ月後、今度は正式な訓練が控えている。基本的にこの犬はやはり危険な犬種としての認識が強く、譲り受ける場合は必ず訓練を受けて試験に合格しなければならない。この試験を通ってはじめて“安全な犬”であることが証明されて、譲渡可能になる(飼い主の名義が変えられる)のだ。よってこの試験に通るまでは、リッキーは僕の犬ではなく、あくまでこの犬(リッキー)の親を飼っている人の名義なのだ。6ヶ月の訓練と試験。やんちゃなリッキーにはかなりきつそうな感じがした。そこで、少しでも訓練が楽なように、僕が訓練士として少しでも訓練しておこうと思った。そしてその手の本を買ってきてやってみた。意外と言う事を聞いてくれるのでびっくり。案外と良い犬になるかも。リードを引っ張らないように付いて歩く練習。腕にタオルを何枚も巻いて噛ませる練習などなど。訓練所行きまでの2ヶ月間は本当に短い時間だったが、充分にコミュニケーションがとれた良い2ヶ月間だった。
 あるとき家族と一緒に利根川に釣りを兼ねて出かけた。4月くらいだったと思う。鮎釣りの人が大勢川に立ち込んで釣っている。普通鮎は6月くらいからが解禁だが、放流でない鮎にあってはその限りではないらしい。陸地には人がほとんどいないのでリードを外して自由にしてやった。最初の内は急に自由になり過ぎた所為か、どうしたらよいのかわからなかったと見えてあまり僕らの所から離れずに遊んでいた。しかしその行動半径を徐々に広め、ついには完璧に自由な空間が彼に見えたらしい。彼は大喜びであちらこちらを走り回り、砂を掘り、水に入り・・・・・その嬉しさを体全部を使って表現して見せた。この犬はボディ・ラングエッジがとても上手な犬だ。それを見ている娘や女房も目を細め、犬の本来の姿に触れたような気がした。
 僕は犬を遊ばせながら釣りをした。鮎ではない。鯉が釣りたかった。できたら色付きの・・・・。というのもここのところ家族の中で犬は勿論だがTVゲームもブームになっていた。そのゲームは人のお手伝いをしたり、釣りをしたり、昆虫を採ったりしてそれを商店で買ってもらってお金を貯めていくゲームだ。そしてニシキゴイが意外と良い点数なのだ。勿論、ニシキゴイが高価なのも知っている。しかし川で釣れるようなニシキゴイがなんでこんなに高価なのかは解らない。いずれにせよ娘は本当のニシキゴイを釣ってみたいらしかったのだ。しかし結局ニシキゴイは掛からなかった。変わりに珍しい物が釣れた。それはカマツカ。カマツカは僕が小さいときに鮒釣りに行くとその外道として随分釣れ、あまりに邪魔だった記憶が強い。しかし近年では農薬散布の影響だろうか、カマツカとはしばらくご無沙汰だった。そいつに出会えたので僕は満足だった。そしてもっとレアなのはボラ。僕らが行ったのは群馬県桐生市の利根川だ。河口からどのくらいの距離があるだろうか。汽水にボラがすんでいる事は良く知られた事実だが、完全な淡水にしかもかなりの数がいたと思える。不思議だ。こんな事をしている間にもリッキーは今までのフラストレーションを振り払うかのごとく遊びまわっていた。そして僕らも一息入れようとコーヒーを沸かして飲んだ。その時リッキーの奇妙な行動に気付いた。一心不乱に地面を掘っているのだ。ここはほとんど砂地なので掘りやすいとは言え、彼の体がすっぽりと入ってしまうほどの穴を掘った。そしてそこからなにやら引きずり出した。白骨だ。何かの動物の白骨だった。彼はそれを咥えて遊ぼうとしているのか食べようとしているのかは解らなかったが、いずれにせよあまり気持ちの良い物ではないので取り上げてしまった。しかし彼はへこたれもせず、また元気に走り回っていた。そして夕方になって釣り師もボチボチ帰り支度を始めたので、こちらも片付けて家路に付いた。リッキーは車に乗るや否やコテンと寝てしまった。それは彼が大きくても彼がまだ赤ちゃんである事を物語っていた。しかしその寝顔の素晴らしい事といったら筆舌に尽くせないものがある。・・・可愛い!!

[訓練]
 そんなこんなで家族の一員としての地位を築いたリッキーであったが、とうとう半年間の訓練所行きの日がやって来た。ここのところ家族はみんな気分的に凹んでしまってる。僕もそうだが、死んでしまう訳でもないのに何故か悲しい。みんなの口数が減ってしまった。
 当日は家族みんなで訓練所まで連れて行った。約束の時間よりもかなり早く家を出て、みんなで訓練所の近くを流れる川の岸辺で食事をした。僕らはコンビニのおにぎりやパン。リッキーもいつもと何も変わらぬ食事だった。これから始まる訓練がどんな物であるかも知る由もないリッキーと僕たち。リッキーは家族が凹んでいることなどどこ吹く風。いつもの狭い部屋とは大違いの広い空間で大地と戯れ、草とじゃれ、家族と遊び・・・・。今日から約半年間のお別れだ。きっとこれからは不自由な生活が待っているのだろう。その前に一度、こういう風にリードも付けず、何の規制もない中で遊ばせて上げたかった。訓練士から週に一度くらいなら会いに来ても良いという許しが出ていたが、とりあえず最初の一ヶ月は訓練士に慣らすために面会はご法度だと言われた。一ヶ月というと結構長い。しかし、僕にはあいつを良い犬にしなくてはならない義務がある。それはそういう犬を飼ってしまったということよりも、あのとき(断耳のとき)の記憶がまだまだ鮮明に頭にあったからだ。そして僕は心に誓っていたのだ。『こいつを絶対に良い犬にして、家族と一緒に良い関係をもったまま、この犬が果てるまで共に・・・・』。だから引くときには引かなければならない。きっとあの訓練士なら良い犬に仕上げてくれるはず。訓練士には警察犬としての基礎訓練とガード犬としての訓練をお願いしてあった。僕にとっては警察犬としての訓練など名義変更の道具としか考えていない。この犬はガード犬として購入したのだ。家族を守って初めて僕らと良い関係が保てると思ったのだ。充分に自由を満喫したリッキー。そろそろ訓練所に連れて行く時間だ。リッキーに車に入るよう指示を出し、それに素直に従うリッキー。・・・『頑張ってナ!』              訓練所に着いた。話は事前に済んでいたのでここで話すこともない。ただ『よろしくお願い致します』とだけ言った。言いたい事は沢山あったのだが、特別その場で言わなくてはならないことはなかった。訓練士は総てを理解しているようで、『解りました。頑張ります。』と心強いお返事を頂いた。訓練師も無言で僕の目をじっと見ている。僕も彼の目を見て何かを感じ取っていた。そして持っていたリードを訓練師に手渡した。もう一度『よろしくお願いします』と言いながらその場を立ち去ろうとしたその瞬間、リッキーはこれがしばしの別れであることを直感したらしかった。咄嗟に僕に飛びついて来た。どうして分かったのかはわからない。しかし犬っていう動物は何故か人の行動や考えを鋭敏に察知する能力に長けている。すぐに訓練士に取り押さえられた彼は、恨めしそうな眼で僕を見つめた。そう、あの時と同じ・・・耳を切った後のお別れの時と・・・。

[リッキーのいない毎日]
 流石に一ヶ月は長かった。合えないので電話で彼が元気にしている事だけは知っていた。しかし、今まで家族と一緒に同じ屋根の下で暮らし、僕などは毎晩一緒に寝て・・・。家族の一員としては申し分なかった。そんな彼が突然消えたのだ。家の中を寒々とした空気が漂っていた。娘や女房が言う『リッキーは今どうしているかなぁ』で始まる会話。他にこれ以上に気になる題材がないのだ。幸せの証だろう。しかしそれにしてもぽっかりと開いてしまった心の隙間は何なのだろうか。恋人が去って行ってしまったような妙に不思議な気分だ。そしてついに娘がキレて『何か他の犬を飼いたい』と言い出した。僕は反対した。女房は笑っていた。『今度はもっと大きくなって帰ってくる。そんな時、他の犬がいたら大変だぞ』と言って娘をなだめた。しかし僕だって本当は娘と同じ気持ちなのだ。違っていたのは僕は耳を切った現場にいたこと。娘はあの痛みと戦うリッキーの壮絶なる光景を目の当たりにしていないことだ。あの現場にいたら他の犬など飼わず、リッキー一匹を充分な愛情をもって育てて行きたいと思うのは至極当たり前のことと考えたのだ。しかし、一旦言い出した娘は止められなかった。あるとき僕が飼っている熱帯魚の餌を買いにペットショップに立ち寄った。このとき一緒に付いて来た娘がある一頭の子犬の前で動かなくなってしまった。黒ラブの赤ちゃんだ。どちらかといえば細身のドーベルとは正反対の黒ラブ。モコモコしていて、その黒ラブもずっと娘の方を見ている。娘の気持ちは解らない訳ではなかった。ただ単に寂しさを紛らわせるために欲しいのではない。娘にしてみれば大型犬というのを飼って見て初めて人間のガードをする大型犬っていうものがどういうものだかが解ってきたのだ。リッキーが成長して自分の体重に近づいてきた頃には、すでに手に余る状態なるだろうし、現在でもちょっとぶつかっただけでも飛ばされる娘を見ていると、自分の手におえる犬が欲しいと思うのもこれまた当然であるように思えた。しかもこの犬は耳を切る必要がない。だから女房に『どうする?』と聞いてみた。すると娘が『こっちを見てる』と言ったのでみんながその黒ラブを見たその時・・・・・『買って!』とでも言っているような眼をしてこちらに近付いて来て・・・こちらをジーッと見ている。そしてやはり眼が点になっていた女房が、こちらも見ずに『どうでも』と答えた。そして結局この黒ラブも我が家の一員として迎え入れる事になった。衝動買いに近いものがある。店員から『虫下し等をするために一週間待ってください』と言われた。ここはペットショップだから、すぐに持って帰れると思っていた。娘も少々がっかりしていたが、リッキーの時も2ヶ月待たされたので驚きはしなかった。その間、我が家ではまた子犬飼育のための準備に追われた。そして一週間後その犬は我が家に来た。トイレのしつけは女房が上手い。怒らずに上手に仕込んで、来てから3日目にはもうパーフェクト。その他色々な基本的な芸を教えた。彼は案外苦痛でなくそれらを吸収し、命令にはとても良く従う犬になっていった。これでひとまずリッキーがいない寂しさからは逃れられた。娘はリッキーを買う前に購入した犬のカタログを見てラブラドールはとても従順で盲導犬をはじめ、色々な活躍をする犬であることを知っていた。だからこの犬なら手に負えると思ったようだ。実際、この犬はリッキーと違ってのんびりとしていた。しかしリッキーが帰って来たら、そんなに広くはない我が家でどうやって二匹の雄犬と共同生活をするのか?しかし飼ってしまったのだから何とかするしかない。そんなことを考えている間にも足元を真っ黒な塊がチョロチョロ動き回っている。名前は単純にラブ。ラブラドールレトリバーの頭2文字を取っただけという、実に単純な発想の元に娘が名付け親となった。
 食欲旺盛な彼は一日中食べる事ばかりを考えているようで、遊んでいても食器の音がするとすぐにスッ飛んで来る。そんな彼だから便も多い、回数も量も人間をはるかに上回る。そして我が家に来て早々、その便に白い物を見つけた。長さ3p、直径2oの・・・それは動いている。寄生虫だ。ペットショップで寄生虫駆除をするので一週間我慢したのになんてこった。そこで獣医さんに除虫薬のことを聞いたら、人間の物の方が良いと聞き、早速人間も含めて全員でその薬を飲んだ。人間は全員問題なかったが、犬は翌日真っ白な便をした。それは総て寄生虫だった。総てが動いているが以前のと比べるとかなりゆっくりした動き。これぞ虫の息っていう奴だ。そしてその薬を2回飲んで彼の腹から寄生虫は消えた。そしてすくすくと育ち、あるとき訓練所にいるリッキーに会いに連れて行った。到着すると相変わらずリッキーは喜んで、その喜びを体の総てを使って表現するものだから誰も恐くて近付けない。僕だけが彼を抱擁し落ち着かせることができる。そしてその後に女房と娘が来て撫でたりするのだ。このときも同じだった。そしてリッキーが落ち着いたのでラブを車から出した。まさか大きな犬がいると思っていなかった彼は、喜んで車から出て来た。そもそも訓練所に着いて車を止めた時から降りたくて車の中を右往左往していたのだ。そして出てびっくり。そこには自分の何倍もある犬がいたからだ。すぐに尻尾を丸めて退散する体勢を取った。犬の世界は厳しい。2頭いれば必ずどちらかがボスでどちらかが家来なのだ。リッキーは大きいとはいえまだ子供。つまりは遊びたい盛り。ラブを見てすぐにすっ飛んで来た。しかしラブは恐くて逃げ腰。娘が危険を感じてすぐにラブを抱き上げた。娘に抱かれたラブは震えていた。恐怖か、ただ単にびっくりしただけなのかはラブになってみなければ判らないが、とにかくかわいそうな一瞬だった。そしてゆくゆく共同生活をしなければならないのだから、早い内に慣れさせておきたいと思う我々をよそに結局最後まで逃げまくっていた。

[リッキー帰還]
 そしてとうとう半年が過ぎ、リッキーも試験に合格して我が家に帰ってきた。2002年2月10日だ。昔のことを覚えていて、すぐに居間に駆け込んだ・・・そこにはラブがいた。リッキーを見たラブはすぐにテーブルの下に逃げ込んだ。リッキーはすぐにそれを追った。僕はすぐにリッキーを止めた。すでにラブは机の下で小さくなって震えている。そして眼で『何とかしてくれよこのデカ犬。』と僕に訴えかけている。しかしそんな訳には行かない。しかし、どう見てもラブが劣勢過ぎて可愛そうだ。そこで僕はリッキーと共に生活する事にした。僕が仕事をしているときもリッキーを職場に連れて行く。リッキーは院長室にいるので、ラブは昔のように居間でのびのびと遊べるのだ。しかしリッキーが帰って来たら、また机の下行きは仕方がないところ。そしてそのまま3日間が過ぎた。そして餌の時間が来たときに食い意地が張ったラブは耐え切れなくなって机の下から出て来た。リッキーはすぐにラブを追おうとしたので、僕がそれを阻止してラブに安心感を与えた。そして大急ぎで(というよりはいつも大急ぎで食べてしまうのだが)餌を食べ終えた彼は、まだ食べているリッキーに近づき、リッキーの匂いを嗅ぎだした。いいことだ。それに応えるかのようにリッキーも知らぬ振りをしている。そしてそんなことから徐々に仲良くなって行った。しかしこの2頭の上下関係が難しい。というのもリッキーにしてみれば相手は小さいし『俺は昔からここにいたんだ』と思っている。後から来たラブはそんなことは知らないから『先にここに来たのは僕だ』と思っている。よって毎日遊びながらその上下関係を作ろうとしているようだ。じゃれ合っている。体の大きさから言って、やはりリッキーの方が優勢。キャンというのは必ずラブだ。しかし、最近ではラブがかなりリッキーにかかって行き、リッキーが腹を見せて服従の体位を取ったりしているところを見ると、どうやらラブが主導権を握ってきたような感じもしている。

[家での訓練]
 さて、訓練から帰ってきたリッキーは昔じゃれ合っていた頃の犬とはまるで違っていた。大きさもたくましさも格段と上がり、昔の面影はかなり薄くなっていた。胸が厚くなり、耳もピンと立った彼は如何せん近づき難いような犬になっていた。でも、僕はそんなリッキーが気に入っていた。近づき易いようではガード犬としては失格からだ。まずはその容姿で相手を威圧できなければならない。そして忠実性及び運動性能が求められる。要は飼い主の言葉を理解して、その言葉に本人(本犬?)の意思に無関係に従わなければならない。それは主人からの指令がたとえ死を意味する事でさえ忠実に従わなければならない。そのような犬が良いガード犬なのだ。事実、彼を見た人はみんな一様に嫌な顔をする。こんな物が近くにいたのではまるで落ち着かないようだ。しかも運動性能もすこぶる良い。しかし威圧はでき、走るのが速くて高くジャンプできても、最も大切な忠実性が彼にはない。つまり命令してもそれに従わず、強制的に従わそうとしようものなら逆に食って掛るのだ。特に女房と娘にはその傾向が強い。そしてそんな時にはこちらも思いっきり怒るのだが何をしても一向に効かない。叩いても蹴っても全く効かない。こちらの手や足が痛いだけ。尻尾を切られたり、耳を切られたりしてきた犬だ。叩いたり蹴ったくらいではビクともしない。その上訓練所で痛みに耐える訓練をしてきている。確かに悪人が来て、例えば蹴られたくらいで尻尾を巻いて退散してしまうようではガード犬としては失格なのだ。どんなに痛みがあっても、命が果てるまでは主人を守り通さなくてはならないのだ。こんな具合だからその頃は調教に手間取っていた。普通、調教には飴と鞭を使い分けて行う。しかしこの犬には鞭が効かない。よって飴だけで調教しなくてはならない。そう思ってそれを実行に移すと、彼はいいように図に乗ってしまう。犬という生き物は本来狼で、それは群れを作って行動する。そして総てのメンバーがチャンスがあれば自分がボスになろうと常に考えているのだ。よって彼らはその本能を今でも濃く持っている。つまり飴だけでは彼は家族のボスになってしまうのだ。そうなっては手が付けられなくなるので、何とかして家族が全員ボスで自分はその下に位置するようにしなければならない。何とかしなくては・・・・。
 昨年の2月、始めて我が家を訪れた時の彼はやんちゃ坊主で、いつも僕らを翻弄した。しかし今回彼が帰って来て感じることは、全く違った性格になっているということ。昔のように落ち着きがなく、何でもそこら中のものを手当たり次第に噛み砕くという事はせず、ただ、とにかく人を見ると噛みたくて仕方がない犬に変わったこと。現在も他人を見るとヨダレをダラダラと出して、その人の方に近づいて行く。我が家に来てすぐにこの異変に気付いていた僕は、犬が犬なので朝から晩まで四六時中、しばらくの間は犬と一緒の生活をすることに決めた。そうでもしない限り何かしでかしそうで不安だった。そして僕は彼と共同生活を始めた。まず彼を理解しなくてはならない。
 我が家に帰ってきて3日目。最初の犠牲者は娘の紗千子(当時10才)。テーブルの下で寝ていた彼が伸びをして、テーブルの上に置いてあった塩の瓶が偶然にも犬の上に落ちた。紗千子がそれを拾おうとして手を伸ばした瞬間、唸り声と共にリッキーは紗千子に突然襲いかかった。僕がトイレに行っているわずかな間隙を縫っての襲撃だった。犬の唸り声と紗千子の声と女房の悲鳴とがいっぺんに聞こえたのですぐにトイレを出た。目の前にリッキーがまさに女房に襲い掛かろうとする瞬間だった。犬は姿勢を低くして鼻に皺を寄せ、牙を剥き出し、ヨダレを垂らして、女房との間合いを取っていた。すぐに僕が割って入って女房は事無きを得たが、紗千子は左耳を噛まれてて出血がひどく、一瞬“ヤバイ!”と思ったのですが、耳に穴が2箇所開いていて、その内の一つが太めの血管を切っただけだったのでほっとした。リッキーにしてみれば、寝ていたら瓶を投げつけられ、その上近づいてきて手を出されたので、何かまた攻撃されると思ったのだ。そして“攻撃は最大の防御なり”とばかりに攻撃したら、それを女房に止められたので、今度は女房に襲いかかろうとしたようだ。正直言ってあのような状態で間に割って入るのはかなり勇気が要った。僕自身とても恐かった。しかし、ここでこれ以上の被害を出さないためには他に方法がなかった。捨て身の覚悟で割り込んだ。とりあえず本気で噛んではいなかったようで(本気だったら耳くらいは簡単に食いちぎっていたはずだし、場合によっては耳などは噛まないで、首などを狙ってくるはずです。)、これはこれで一件落着したのだが、その後も僕が何かをしているときには、必ず何かを狙っている気配を感じる。こんな時に他人が来たら、犬にしてみれば本当にいいチャンスなのだ。要は常にチャンスを狙っているのだ。その後、釣り仲間も2人噛まれた。これは僕の不注意だった。一応『噛むから絶対に手を出さないで!』とは言っておいたのですが・・・・。普段は他人が来ると緊張してその人をじっと見ていて特別動いたりしない。初めの頃は普通にしているものだから、僕は“きっと客に慣れたのだろう”と思ってしまった。また客も客で、そんな状態なので“大丈夫”と思うのか、ぼくの忠告を守らないで、安易に手を出してしまったのだ。すると2〜3回くらいペロペロとその人の手をなめて、その後ガブッと噛む。全然吠えない。聞こえるのは噛まれた人の悲鳴だけだ。そして彼は勝利したような顔で僕の方を見ながら尻尾を振って来る。最初にこの技を覚えさせたのは女房だ。まるで甘えているかのように見せかけておいてガブッとやる。今、彼は“人間なんてチョロイ”と思っているはずだ。そしてその技を使って3人噛み、また3人くらい失敗している。血が出るくらいで、骨を噛み砕くような事はしないが、本気で噛んだら腕の骨くらい彼の力では簡単に噛み砕いてしまうはずだ。しかしながら、他人にとってはショックが大きく、“恐ろしい犬”として認識されている。僕も4日前に噛まれた。もう一匹の飼い犬(ラブラドールレトリバー)がおもちゃで遊んでいるときに、そのおもちゃをドーベルが飛びついて奪ったので、僕がそれを怒ったら、そのおもちゃを僕の所に持って来て、まるでそのおもちゃを僕に見せ付けるかのように僕の目の前でダンスのようなことをしたので無視していたら、僕の目の前でそのおもちゃを口から放し、僕がそれをラブラドールの方に上げるためにつかもうをした時、僕の上腕をガブッとやられた。
 また朝の散歩のときだった。毎朝僕はリッキーを連れて自転車で散歩をしている。自転車は左右のブレーキを前後逆にして、右手で安全にブレーキができるようにしてある。左手はリード(手綱)を持たなくてはならないからだ。
 丁度ある交差点で道路工事をしていて、その交差点にある信号が赤だったので止まっていた。こんなとき僕は必ず犬を座らせている。そうしたら工事に使っているパイロンをトラックが跳ね飛ばし、丁度リッキーの前に転がって来てしまったのだ。僕がそのパイロンを拾ってあげようかと思って自転車を降りようとしたところに工事の警備員がパイロンを拾いに来た。最初は犬に気付いていなかったが、パイロンを拾い上げたときにこの犬に気付き『ウワ〜ッ!』と声を上げてしまったのだ。当然その声に反応したリッキーは飛び掛かった。しかし僕がリードを引いたので飛び掛かれなかったが、僕もパイロンを拾おうとして途中まで自転車を降りかけたところだったので、バランスを崩して自転車もろとも転んだ。そして5m〜10mくらいリッキーはその警備員を追いかけた。僕を引きずったまま。大事に到らなくて本当に良かった。
 その他にも色々と危ないことをやってくれる。
 ここまで話せばその頃の我が家がどんな状態かわかっていただけると思う。この犬の最も大変なところは、警察犬及びガード犬として仕上げられているので、とてもタフで痛みをあまり感じないところだ。叩いても蹴っても何にも感じていないようで、僕の手や足が痛いだけ。そこで竹刀を借りてきて叩いたが、全く効かないので手に負えない。つまり叱れないのだ。良いことをしたら褒め、悪い事をしたら叱るというのが訓練の鉄則。しかしながら褒める事はできても叱る事ができないのだ。そして昨晩はとうとう木刀を持って来て叩いた。キャンくらい言うかと思っていたが、何も言わず、しかしさすがに効いたようで、部屋の隅でおとなしくしていた。ところがその翌日の朝4時頃、この犬の体温が急に下がり始めたので驚いた。先ほども言ったが、こんな犬なので危険が多すぎ。そこで四六時中一緒に生活しているのだ。寝るときも一緒に寝る。彼とラブはいつも寝るときは僕にくっついて寝ているのだが、気が付いたらリッキーの方がラブに比べて極端に冷たくなっていたのだ。驚いた僕はすぐに『リッキー!リッキー!』と声を掛けた。しかし全く動く様子がない。すぐに飛び起きて部屋の電気を点けた。顔色がとても悪く、息が荒くなっていた。すぐに“昨夜木刀で殴りすぎた”ことが原因であることが解った。しかしそれでも僕が彼の名を呼んだものだから、僕のほうに向かってフラフラと立ち上がって、僕の方に来ようとしている。すぐにもう一度寝かせ、色々と調べてみたら凄い動悸を起こしていた。不整脈だ。時折5秒くらい心臓が止まる。そしてその内嘔吐して、悲しそうな顔で僕をじっと見ていた。結局朝まで看病していたらだんだんと良くなり、みんなが起きる頃には心臓も正常に動いて、リッキーも普通に戻った。肋骨でも折れたのではないかと心配したがそうではないようだ。きっと心理的なものだと思う。
 
 今はこんな状態なので釣りにも行けず、僕のストレスも溜まる一方。訓練所から帰って来たらきっと良い犬になっているのだろうと思っていた僕が失敗だった。結局のところ、ただタフになって帰ってきただけでした。訓練所は武州長瀬にある。ここはほぼドーベルマン専門の訓練所。いつも30頭くらいのドーベルが訓練されている。そして訓練師(この訓練師も僕の犬に右肩を脱臼させられ、3日間の入院をさせられた)が言うには、この犬はドーベルマンの中でも特に大きくて強いので注意してくださいとのこと。本当に力を持て余しているのが良く判る。
 今は家族とお客を守るのに精一杯。本来であればガード犬として、もしも悪人が来たときに攻撃をする・・・つまりは僕らを捨て身で守らなければならないはずの犬が、おりしもまかり間違って飼い主まで攻撃してくるとは夢にも思っていなかった。ガードしてもらうはずが、僕が家族をガードしているという、なんとも不思議な状態となった。この次はガード犬から身を守るためのガード犬が必要かも?

[やんちゃ]
 リッキーは猫が大好き。今朝も散歩のときに猫が出てきて、急に走り出し(このとき僕は猫に気付いていなかった)大きな交差点に差しかかって、両方から車が来ているし、犬は夢中で猫を追いかけたものだから『止まれ』の制止も利かず、このままでは僕もろとも車に轢かれると思ったので、仕方なくリードを放した。とりあえず犬は轢かれるかもしれないが、僕だけは怪我をしたくなかった。左右両方から来ていた車は急ブレーキを踏んでいたが、僕が見ている分にはブレーキの必要はなかったと思う。リッキーは上手い具合に車の間を抜けて、リッキーが通り過ぎてからブレーキを踏んでいた。そして交差点を渡った犬の先に猫が居る事を知った。犬はすぐ猫を捕まえてじゃれようとしたところ、引っ掛かれたようですぐに帰ってきたので、何にも問題はなかった。それにしても冷や汗物だった。


ベストパートナー

[釣りの同伴]
 2002年4月25日。この日は木曜日なので僕は定休日。この犬が来る前には必ず釣りに出かけていた曜日だ。ところがリッキーが来てからというもの、ほとんど外に出ないで訓練に始終し、早く釣りに行けるようにと頑張っている。しかしながら釣りというものは麻薬みたいな物で、行かないと禁断症状が出てくる。とにかく不機嫌になるのだ。よって犬に八つ当たりしてしまったりもする。そこでこの日、リッキーを連れて渓流釣りに出かけてみることにした。丁度良い事に午後2時から女房が出かけるというので、それまでに帰って来ればいいのだ。最初から一日中山に入っていたのでは何か問題が起こったときに対処できないので丁度良い。そう思った僕は前の日から準備を始めた。ところがその晩天気予報で翌日の天気が七色に変わることを知った。七色に変わるというのは、風が吹いたり雨が降ったり、晴れたり曇ったり、色々と変わることを言うのだが、こういう日は釣れない。きっと魚は気圧の変化を感じているのだと思うが、とにかくこういう日にいい釣りをしたことは今までにない。よって釣りは諦めた。諦めたといってもしないわけではない。チョッとやってその間にリッキーがどのような行動を取るのかをじっくり観察して、これから一緒に釣りに行くときの参考にするのだ。
 朝3時半に起きて4時に出発。場所は群馬のとある渓流。ここでは美味しい金色のイワナが釣れる(黄金イワナではない)。そして以前ここで数匹の犬を放している人を見たのだ。意外となだらかなその源流部は、険しい道が苦手なドーベルマンにはもってこいの渓流とにらんだのだ。現地到着が5時半。もうすっかり世間は明るくなり、新緑が眩しい。風が強い。釣りは雨が降っても雪が降っても何の問題もないが風だけは駄目だ。竿や仕掛けがあおられて、ひどいときには仕掛けが空を舞ってしまうのだ。そんな時には僕の秘策があって、大きいナマリを使う釣り方をするか玉浮子を付けて釣る。しかしこの日はそこまでする気が起きなかった。そもそもリッキーが渓流でどんな行動をするかを見るための釣行だったからだ。現地に着いて早速リッキーを外に放した。最初戸惑っていたがすぐに喜びだした。僕も普段着のままリッキーと戯れた。そして沿道を上流に向かって歩いていった。リッキーは僕から離れずに絶えず見えるところで走り回っていた。小心者の犬ゆえ、一人では恐いのだろう。そして堰堤が見えてそこからは沿道がなくなった。しかしながら以外に奴は付いて来る。流石に大きなガレ場は歩き辛そうだったが、それでも僕に置いて行かれまいとして一生懸命に付いて来る。その仕草を見て『これなら大丈夫』と思って一旦車に戻った。そして途中で買い込んで来たコンビニのオニギリを頬張った。リッキーにも餌を与えたが、遊びに夢中で(そもそも普段から食が細い)全く食べずに走り回っていた。そして腹ごしらえを終えて釣りの支度を整え渓に入った。リッキーは水に入るのを恐がって入ってこない。しかしいつも見えるところで走り回っているようなので安心して釣りを始めた。と思ったらリッキーが見えない。そこで持ってきた笛を吹いてみた。すぐに奴は現れた。そして一安心。しかしながら釣りには身が入らない。もしもあいつが帰って来ないようなことがあったら僕と訓練所の人意外は誰の手にも負えない犬だからだ。もしも帰って来ないときには警察に連絡しなくてはならないだろう。そして最悪の場合、捕獲が無理であるならば射殺されるかも知れない。そう思うとやはり釣りには身が入らないのだ。結局30分くらい糸を垂れたが、折からの強風とリッキーへの注意で小さなイワナが3匹釣れただけ。久し振りの貧果だが、たった30分釣り場にいただけで、釣りができないというストレスは充分に拭い去る事ができた。そして釣りを終え、どこかに行ってしまった犬を呼ぶのに笛を吹いた。しかし来ない。5分くらい待ってみたが来ない。そこで笛を吹きながら車に向かった。そうしたら車の方から奴が歩いてくる。どうやら疲れて車の付近で休んでいたらしい。結果は上々だった。


[体内時計]
犬は体内時計を持っているようだ。
 リッキーが一番好きな散歩。散歩の時間をずらしても、どうせ僕が散歩に出かけられる時間は朝か仕事の間の休み時間だということを知っているから、その時間に僕が着替えていたりするともう大はしゃぎ。それが散歩ための着替えでなくても。靴下を履いたり、ヒゲを剃ったりしても外に出ることを感じて大はしゃぎ。
 おねむの時間。午後10時半。これがリッキーの着床時間。この時間は僕が家に帰って、食事してほっと一息ついている時間。コンピュータをいじっていることが多い。この時間になると僕のすぐ脇に付いて僕の足にオテをする。『ヨーヨー、ねんねしようよ』と誘いに来るのだ。しかし、こちらも一日働いてきて、その疲れを癒している時間なのでそうそうリッキーに付き合ってもいられない。そのまま放っておくと、シビレをきらしたリッキーは、今度は肩に彼の顎を乗せて僕が動くまでじーーーっとしている。それでもダメだと敷いてある布団の一番上の掛け布団を咥えて持ってきて腰掛けた僕の腿の上足に。仕方がないので布団に連れて行って僕が中に入って掛け布団でピラミッドを作る。するとその中に入ってきて『ハーフー』と喜びの声を上げる。可愛いものだから全身をさすってやる。特に耳の中と耳の下を掻いてやると喜ぶ。すると『ハーフー』の声は一段と大きくなり、調子の良い時は高い『ヒーヒー』と言う声に変わる。そしてそのうちに睡けがピークに達するのだろう、横になって『スースー』の寝息に変わる。
 朝の目覚まし。僕は朝がとても苦手だ。それを考慮して仕事の始まりは10時にした。しかし、それも身体が慣れてしまって朝はいつも辛い。しかし、リッキーにしてみればもしかしたら散歩に連れて行ってくれる時間だ。『もしここでパパが目覚めなければ朝の散歩はなくなってしまう』と思うのかどうかは定かではないが、毎朝決まって8時半に僕を起こす。最初は僕に向かって吼えているだけ。しかし、僕もだんだんそのくらいのことには慣れてきてしまって起きない。すると彼は持ち前の長い鼻を僕の首の下に突っ込んでそのまま僕を力づくで起こす。僕は座った格好になってしまうので起きないわけにはいかない。面白い犬だ。
 いずれにしてもこのように決まった時間に決まった行動を取るということはかなり正確な体内時計を持っている犬なのかもしれない。

[新たなる問題]
 また新たなる問題が発生した。僕は犬は家族の絆をより太い物にしてくれる生き物だと思っている。しかしながら場合によっては家族を引き離す可能性もある。というのも上記のように僕の言う事には比較的良く従うようになってきたが、未だに女房と娘(特に女房)には従わない。女房はリッキーの行動を阻止できない。またリッキーもリッキーで僕がトイレに入った瞬間や風呂に入っているときは、恐い者がいなくなったのだから、猛然と暴れだしてラブに食って掛ったり、家財を齧って壊したり、好き放題し放題なのだ。その原因は、女房はリッキーが何か悪い事をしているのところに遭遇ときに『駄目ョ』くらいしか言わないことと思われる。彼女ははむかわれるのが恐いのだ。しかしながら、こんな状態ではいつまでたっても女房はリッキーの下の地位としか認識されない。これではどうしようもない。そこで『僕がいる時に何かしでかしたら怒れ!』と言っているのにもかかわらず、彼女は何にもしない。それどころか、はっきり『嫌だ』と言ってくる。その上リッキーを外犬にしろとまで言ってくるのだ。外で檻に入れていたり綱でつないでいたりしたらガード犬にはならない。家族と一緒に生活をしていなければ咄嗟の時に対応できないからだ。この犬を飼う前に、犬を一匹飼うという事はどういう事なのかを充分に説明したはずなのに、それを話すと『こんなひどいとは思わなかったから』と言って、女房のいう事を聞くように僕が仕込め、つまりは総てを僕がやれという。これは無理だ。否、無理ではない。女房の協力があれば僕もそれに応える事はできる。しかしながら、全く協力なしにそのようにしろと言われてもこれは絶対に無理。家族の協力体制がなければ犬はその間隙を縫って攻撃態勢に入ってくるのだ。ここでもし彼女が『やってみる』と言ってくれるようであれば、僕がいう『家族の絆が深まる』ことは間違いない。しかしながらこういうふうにされると、逆に家族の絆はより既弱な物となって行く。まずは女房の教育が甘かったことを反省すると共に、何とか今回のことで彼女に家族の絆とはどんな物なのかを身をもって知っていただく良い機会と考え、これからまず女房の教育をして、それから女房の地位をリッキーよりも上げるようにして行かなくてはならない。一つ一つコツコツと根気の要る作業だが、これをやらなければきっと女房もリッキーも不幸な結果に終わることは間違いはない。僕が見ている分には女房だって悪い人間ではない。リッキーだって悪い犬ではない。その両者が上手い具合にかみ合えばこれから先、リッキーは女房にも可愛がられ、女房もリッキーを支配下に置けるし、いい状態で生活していけると思う。

[飼い主・・・・噛まれる!]
そう思っていた矢先の5月4日(土)。それは朝診療に出かける前の10分前に起こった。一緒に飼っているラブラドールのラブがリッキーを挑発した。リッキーは挑発を受けたら絶対に買うタイプ。いつものようにじゃれ合いが始まった。しかしこれを続けさせるとだんだんとエスカレートして本気になって行くのが常だった。そこでどちらかを叱って止めさせるわけだが、いつもは仕掛けた方を叱っていた。しかしその時僕は『ラブはまだ1歳にもならないのだから、チョッと年上のお前は挑発に乗るなよ』という気持ちでリッキーを叱った。そのときのリッキーは『何で僕が叱られるんだ。仕掛けたのはラブの方だ』と言わんばかりに僕を睨みつけていた。過去にも納得がいかないときは叱っているときにこのような顔で僕を睨んだ。そしてこのような時は必ず数分後に攻撃してくるのが常だった。攻撃といってもそんなに激しく噛むのではなく、腕や肩を軽く噛んでチョッと血が出るか出ないか位のものだった。だから僕はいつもこのようなときには身構えていて、かかって来たら必ず腕か肩なので、それをすかしてコテンパンにやっつけてこちらの優位を示した。今回もそうだと思っていた。叱った後リッキーは僕から離れてしばらく落ち込んでいるようだった。しかしその数分後やはり来た。床にじかに座っている僕の背後から突然走って来る音と共に唸り声が聞こえた。すかさず肩と手の位置を変えたら、今回は頭を狙ってきていた。少々頭を使ったようだ。不意打ちを喰らった僕は対処できず、まともに頭を噛まれた。下の顎の犬歯が左耳の後ろに刺さり、上顎の犬歯が右耳の上に刺さるのを感じた。しかし走って来た勢いも付いているものだから、そのまま犬歯は僕の頭の皮膚を引き裂きながら約3pのところで止まった。呆気に取られた僕は何にも出来なかった。そして頭は自分では見えないので両手で撫でてみた。するとものすごい出血が!両側頭部から手の平を一面赤く染める鮮血だ。あと10分で診療が始まるというのに・・・。女房に氷を持って来させて、冷・圧迫止血をし、止血を待って血だらけの頭を洗うために風呂に入った。お陰で診療時間に間に合わず、大遅刻となってしまった。初めてこの犬を飼ったことを後悔した。これで噛まれたのは3回目だ。しかし何故か憎めない。普段のかわいらしさがこの憎しみを上回っているためかも知れない。今も僕の横で寄り添ってスヤスヤと寝息を立てて寝ているリッキーを見みると、そんなことはすっかり忘れているようで、とっても無邪気な寝顔をしている。こんなリッキーを見ていると『人間社会のことを教えていなくてごめんね』とでも言いたくなってしまう。そう、この犬は人間社会の構図がまだ理解できていないだけの事。いつかこれが理解できた暁には、きっと良い犬になると信じている。

[家族で]
 2002年5月5日、子供の日。娘に何か素敵な日をプレゼントしたいと思って聞いてみたら『犬を遊ばせたい』とのこと。そう言えば前にどこか外国にでも旅行しないかと聞いたら、『ラブとリッキーも一緒なら』と言われ、加えて『ラブとリッキーを預けて行くくらいなら行かない』と言われた。我娘は犬にクビッタケなのだ。そこで犬を遊ばせにどこかに行かなくてはならないハメになった。といってもゴールデンウィークの真最中。ちょっと足を伸ばせば良い所(人が来なくて、自然が一杯の所)があるが、ちょっと足を伸ばしたら帰りの渋滞は必至。よって遠出は出来ない。近場で人が来なくて広いところ。そんな所はありゃしない。今の時代、山奥だってハイキングや登山、沢沿いなら渓流釣り師が来る。また今の時期は山菜の盛期。尚更人が山に入る時期だ。その上駄目だという事で帰ろうとしたら大渋滞では泣きっ面に蜂状態。そこで失敗してもすぐに帰れるように高速道路を使わないで一番近い山を目指した。我が家からだと多分都幾川か東秩父辺りが一番近い。約1時間で着く。そして地図に頼らず、目で山を確認しながら近い山を目指した。何山だか知らない。しかし結構鬱蒼とした山が見えたのでその山を目指した。そして山頂に向かいそうな道を選んで車を進めた。何度も行き止まり。勿論行き止まりを目指しているのだが、みんな民家で行き止まりになっている。そしてそんな失敗をしながらとうとう民家のない行き止まりに着いた。途中悪道で女房は『無理!引き返さないと大変な事になる!』と大騒ぎ。確かにこれで最後にUターンする場所がなかったら大変な事だ。しかし、普通はあるものだ。途中から車の轍が消えた、そしてオートバイのタイヤの跡だけになった。これはヤバイ。しかしどうすることも出来ない。ここまで来たらただ車を進められる所まで進めてみるだけ。結局最後のドン詰まりが広場になっていて車がUターンするには充分なスペースがあった。しかもそこは上手い具合に半分陽が翳って、今日の暑さを凌ぐのには丁度良い。早速そこで犬を遊ばせることにして、自分達も一部陣取らせてもらった。犬は大喜び。合わせて娘も大喜び。辺りを駆けずり回ってきては僕に飛びつく。普通の犬なら何の問題もないが、大型犬だと気が付いていなければ吹っ飛ばされてしまう。彼らの動きを横目で追いながら、自分達の昼食の用意をした。昨日頭を噛み付かれたので、恐怖がまだ消えていない。時折飛びついてくるリッキーはまるで恐怖そのもの。リラックス出来たものではない。しかし、娘が喜んでいる姿に『来て良かった』と思うだけだった。そして案の定あちこちにダニを付けて来た。見えたらすぐに取り除くのだが、見えないうちに毛の下に潜り込んでしまう奴もいるはず。そんなことは予想していたので、今朝ラブにはダニの薬を点けてきた。フロントラインというその薬は犬の両肩甲骨の間に滴下するだけで、全身の皮下組織に入り、それをダニやノミが血と一緒に吸う事によって死んでしまうのだ。リッキーには先週点けたので問題はない。しかもたとえ付いたって、短毛だからすぐに取り除く事が出来る。しかしラブは寒冷地の犬ゆえ、毛が多くて長い。よってダニにもぐられたら見つけようがない。その日の朝に点けたので全身の皮下に廻ったかどうかは疑問だったが、今のところ大丈夫そうだ。当日、数匹付いてすぐに見つけて手で取り除いただけで大丈夫だったようだ。そして約3時間犬を遊ばせ、家族も自然に溶け込んで、渋滞を見越してすぐに帰り支度。GWだから仕方ないか・・・・。でも僕は一瞬たりとも安心していられなかった。恐怖を昨日味わったばかりだから。

[CM出演]
その後のリッキーは実に良くなってきた。最初のころにはなかった落ち着きが徐々にではあるが出てきた。時折釣りに行くときに女房・子供では見切れないので、またペットホテルで預かってもくれないので訓練所に連れて行く。一泊〜2泊の外泊だ。耳の固定および訓練のため、約1年をその訓練士と過ごしているので実に気楽。しかもトレーナーは『どういうわけかこの犬は可愛くって仕方ありません。オッチョコチョイだし、不器用だし。でもとても人間的な暖かさを感じられる犬ですね!』とまで言ってもらえるので、こちらとしても嬉しい次第。預けるのにはまったく不安がなかった。そしてそれはリッキーにとっても同じようで、トレーナーを見つけると一目散に走って行って飛びつく。厳しい訓練と耳を立てる期間の約一年を共に過ごしたのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
 あるとき、やはり釣りで出かけるのでリッキーを訓練所に預けた。そして釣りから帰ってきて訓練所にリッキーを引き取りに行った。すると『可愛いですね!やっぱりこの犬は。姿も良いし、性格も人懐っこいし。他の人にもこうですか?』と聞かれた。『いやいやとんでもない。これは犬のくせに猫かぶってるんですよ。いいガード犬です。僕がいれば。』と話が弾んで、トレーナーが『何枚かこいつの写真があったら頂けませんか?』と言われたので快く承諾した。2〜3日してトレーナーから電話が来てリッキーの写真はどうなったのか?と言われたので、早急に送ることを伝えた。
 こんなことがあって約一ヵ月後、トレーナーからまた電話が来て『CMに出る犬を探しているんですが、リッキーをお借り出来ませんか?』と言われた。僕個人の考えではあまり気が向かなかった。聞いた話では、人にとってはたいしたことなくても犬にとっては大変なことだそうだ。だからそんな無理しなくても良いと思ったのだ。しかし、トレーナーにはいつもお世話になっている。預けるときだって、僕が仕事を終えてから連れて行くので午後10時・11時は当たり前なのだ。それなのに嫌な顔一つしないで迎え入れてくれる。行けば必ずパジャマで出てくるところを見ると、後寝るだけという状態みたいだ。だからいつも申し訳ないと思っていた。そこで『他のドーベルはダメなんですか?』というと『今までいろいろな場面の絵を頼まれて協力して来たが、今回はちょっと気合を入れなくてはならない企画です。よって、見た目に良い犬で気心が知れた犬が良いのですが、となるとリッキーしか思い当たらないのです。ダメでしょうか?』と。こう言われると嫌とも言えず『お力になれるのであれば。』ということでリッキーのTVCMの出演が決定した。予定では撮影前の一週間訓練して連れて行くのが一般的なのだそうだが、リッキーは覚えが早いから三日間でいいということになった。そして撮影前の3日間、リッキーはトレーナーと共に過ごし、また要らん訓練を受けて撮影に臨んだ。
 『撮影は順調でした。やっぱり頭が良いですねこの犬は。』と言われた。またトレーナーの中でリッキーの株が上がったようだ。2003年2月末から浜崎あゆみと共にパナソニックのデジカメのCMに一瞬出演していたのがリッキーだ。
 しかし、連れて帰ってびっくり。痩せている。体重を量ったら2kgの減。3日間で2kg痩せたということはやっぱり相当辛い思いをしたのだろう。『ごめんねリッキー!』

[大病の発症]
 2003年1月18日。朝起きたら愛犬リッキー(ドーベルマン)が少々元気が無く、しかも右後ろ足を浮かしている。いわゆるびっこだ。その後1時間もするとまた普通に戻り、もう一頭いるラブラドールとジャレ合っている。よって僕は勝手に問題なしの診断をくだした。
 翌日、やはり寝て起きるとびっこを引いている。が、またすぐに治る。寝相が悪くて足が痺れているのだろうか。少々気にはなったが、治るのでそのまま放置。
 22日。今度は昼寝の後びっこを引いている。そしてそれが良くならない。餌は普通に食べているので問題なし。・・・また治る・・・と思っていたが、今度は治らなくなった。そして1月23日、彼の行きつけの獣医に出向いた。視診・触診そしてレントゲン。見た目にはほとんど問題は無く、触診でもまったく問題は無かった。しかし問題はレントゲンで出た。膝の後ろ側の骨に透過像が認められ、そのすぐ傍に骨様不透過像が認められた。獣医は、現在痛みがなくてこのようなレントゲン像を呈するのは、初期の骨肉腫の可能性が高いことを僕に告げた。しかし、獣医本人が曰く、骨肉腫の経験はなく、本での話だという。また、そのような病気は比較的少ないのと。感染症の可能性も否定できないので、まずは抗生剤と鎮痛剤を飲んで様子を見ることになった。
 家に帰ってそのことを家族に話した。骨肉腫・・・・どんな病気なのか想像もつかない。家族は『どうなるの?』としきりに聞いてくる。僕はこの病気に詳しくないのでとりあえず薬を飲んで様子を見ることだけを告げた。そしてインターネットで骨肉腫について調べた。現代は便利なもので、調べたいものは瞬時にして調べることができるインターネットという武器が定着している。案の定、獣医が書いている犬の骨肉腫の話や、今骨肉腫と戦っている家族の日記など・・・様々なことを知ることができた。
 要約すると、
 骨肉腫。これは難治性の疾患で、犬の場合、一年生存率が2%、2年生存率は1%以下。まずは飼い主がびっこに気づいて獣医を訪れることが多い。足、特に前足に多いが後ろ足にも起こる。性差はほとんどなく、僅かにオスが多い程度。好発年齢は概ね4歳以後だが2歳くらいから始まる。大型犬では断脚する事が多い。これは転移防止ではなく、大型犬が暴れないようにするためらしい。骨肉腫の場合、発症と同時に全身転移している。転移部の疼痛は徐々に激しさを増し、最後には肺に転移して呼吸不全で死ぬ。
 ということだ。なんと恐ろしい病気か?・・・とりあえず家族にこのことは告げないでおいた方が良いと判断した。
 しかしながら、ではこれからどうすればいいんだ?という疑問が出てきた。まだ確定診断が下りたわけではないのに、先へ先へ考える悪い癖。どうにもならない。
 リッキーを訓練した訓練所に相談してみることにした。
 訓練所の人は『2年くらい前にやはり骨肉腫になったロッドワイラー(大型犬)がいて、リッキーが耳を切った獣医で手術した』ということを聞いた。
しかしその獣医に行くには僕自身に抵抗があった。僕が生まれて初めて“医者”と名が付く人に怒鳴ってしまったあの獣医だ。そんなことがあったので、その獣医に合わす顔がなかった。しかし、今回の一件ではそんな暢気なことは言っていられないのも事実。仕方なく受診することにした。
 1月30日、獣医は僕らを暖かく迎えてくれた。迷っていたことに恥ずかしさを感じた。こちらでも視診から始まり、触診、レントゲン・・と同じ事をやった。レントゲン写真では例の透過像・不透過像がはっきりは写っていなかった。というよりレントゲンの機械の問題だと思われるが、像が鮮明ではなく、ぼやけて写っていて、その上小さく写るのではっきりしなかった。しかしそんなレントゲン写真でも獣医は慣れたもので、『ここですね』といって前の獣医と同じところを指差した。流石だ。しかしこちらの獣医は骨肉腫である確立はかなり低いとのこと(概ね30%)。しかしながらその獣医は慢性骨炎の可能性が高いと言った。しかし抗生剤および消炎鎮痛剤を飲んでいても一向に改善しないことを告げると頭を抱え込んでしまった。・・・やはり骨肉腫なのか?
 それから数日間薬を飲み続けても改善がないので、もう一度最初の獣医に連れて行った。お手上げ状態だ。結局『大学病院で見てもらいましょう』ということになって東京大学の農学部獣医学科を紹介された。2月6日に行くことになった。僕はこれがリッキーの一生を左右する日だと思って覚悟を決めた。


[最終診断の前日]

 毎日仕事場に通う僕とリッキー。自分の中で起こっていることをまったく知らないでただ僕に愛想を振り撒く。院長室のソファーが好きで、いつもスヤスヤ寝ている。今日も良い寝顔だ。僕は彼のすぐ脇に体をくっつけて座り『もうすぐだ。お前の病気はそんな変な病気ではないよ、きっと。頑張れ!リッキー!』と声に出して言った。彼は解っていないのだから涼しい目をして何か遠くをじっと見つめている。それにしてもこの犬がもしも骨肉腫だったら、生まれてすぐ尻尾を切られ、指を切られ、耳まで切られ、半年の辛い訓練を受け、やっと苦痛から開放されたと思ったら痛みのひどい病気・・・・そして最後は窒息死。なんて不幸な星の下に生まれた犬だろう。・・・そう思うと涙が汲み上げてきた。
 家族全員が集まれる最後になるかもしれない夜。僕はリッキーの病気(骨肉腫)の話を家族にした。もしも骨肉腫の診断が下ったときに、家族の意見を一致させておきたかったからだ。僕の考えは「もしリッキーが骨肉腫だった場合、断脚せずにそのまま飼って、できうる限りの愛情をリッキーに注いで、痛みが出てきて辛そうになったら獣医に頼んで安楽死させる。」というものだった。そしてそれが彼に対する最大限の愛情だと思っていた。よって家族は賛成してくれるものと思っていた。しかし僕と家族の考えは違っていた。子供は「嫌だ。嫌だ」を繰り返し『リッキーは強いから死なないんだ!』といって泣き崩れるだけ。女房は『たとえ1%でも可能性があるのであればそれに賭けたい』と断脚を涙ながらに訴える。どれも正しくてどれも間違っているようで・・・・どれが正解なんだ!?どれがリッキーにとって一番幸せなんだ!?3人が3人とも違うことを言っている。難しい問題に発展してきた。収拾が着かないままその晩は会議を止めた。泣いているだけでは良い結論が導き出せないと考えたからだ。


[確定診断]

 そして当日、こちらの獣医に書いてもらった紹介状を持って東大へ出かけた。待合室で待っていたら、はじめに若くて知的でチャーミングな女性が来て『紹介状を下さい』と言われたので渡した。そしてしばしの後、呼ばれて診察室に入った。そこには先ほどのチャーミングな女性が居た。そして今までの経過および現症についてかなり詳しく聞かれた。彼女はそれを漏れなくドイツ語・英語を含めてカルテに記入していった。実に知的だ。そしていったん診療室から出て下さいと言われたので、待合室で待っていた。普通待っているだけなら実に簡単なことなのだが、周りにはリッキーの大好きな猫や犬が沢山居て、彼は遊びたくて仕方がない。しかし相手にされるほかの猫や犬はたまったものではない。飼い主も僕らを避けて通る。場合によっては『オゥオゥ。危ない、危ない。こんなんが相手じゃ一撃食らって・・・大変、大変。』などと言っていく人も居る。確かにそう見えるかもしれない。そう言われるのが嫌だったから他のペットが比較的来ない一番奥の隅で二人してまた呼ばれるのを待った。しばらくして例の彼女が少々お年を召した、しかし感じの良い男性を連れてきた。主治医か?するとその人はいきなり『噛みませんか?』と聞いてきた。彼女は『訓練されているとの事です』とその話を切った。僕も頷いた。するとおもむろにびっこを引いている右足をつかみ、膝と踵を強く掴んだ。待合室でだ。リッキーはびっくりしたであろうが、僕の顔を見てじっと耐えていた。するとその人はかなり強めにあちこちを握り、最後には関節を逆に折り曲げようとしたりして・・・・。丁度プロレスの技を掛けているようだ。しかしリッキーは耐えた、鳴き声ひとつ上げず、ずっと僕の顔を見ていた。そして男性の指示で股関節から下の総てのレントゲンを撮る事になった。
 しばらく経って、呼ばれたのでレントゲン室に入った。飼い主も一緒に入ってくださいと言われたので従った。要はレントゲン撮影の手伝いだ。レントゲン技師二人と、「先生、先生」と呼ばれていたので、きっと獣医の中年のご婦人と、そして例のチャーミングな女性と僕とでリッキーを思い通りの格好にして撮影は順調に進んだ。リッキーにとってはとても辛い体位であったと思うが、彼は僕の『待て!』の言葉に従ったため、順調に事が運んだ。そしてまた待合室で待たされた。しばらくするとまたあのチャーミングな女性が現れて『うまく撮れてなかったのがあるので、すみませんがもう一度レントゲン室に入ってください』と言われた。もう一度レントゲン室に入って撮影を待った。僕らの前に猫がレントゲンを使っていた。その猫は言うことを聞かず、暴れまくっていた。型は大きいがリッキーの方がよっぽどお利巧さんだ。そんなことを考えながら見ていたら、先ほどの獣医と思われる中年女性が来て『写真を撮らせて下さい』とのこと。OKで数枚の写真を撮っていた。その後リッキーの番が来てまた辛い体位をとらされて撮影終了。また待合室待ち。昼の時間になったので、きっと1時過ぎに呼ばれると思いきや、12時30分に呼ばれた。中には例の紳士的獣医とチャーミングな女性がいた。思わず『食事は?もしよろしければその後でいいですよ』というと『昼食なんか毎日ないです。こんな仕事ですから。慣れっこです』とチャーミングな女性が答え、紳士獣医は笑顔で僕を見た。なんて熱血なんだ。見習わなければ。
 そしてレントゲン審査も結果およびその他触診による獣医の見解を聞いた。それによると『骨肉腫という可能性がないわけではありませんが、多分十字靭帯の損傷か断裂だと思います。骨周辺の不透過像というのは現在では見当たりません。靭帯のことですのでレントゲンには写りませんが、膝の関節を手で無理に動かしてみると、正常範囲を超えて動くのです。よって十字靭帯の損傷か断裂かの可能性が強いのです』と言われた。・・・ほっとした。骨肉腫の疑いが完全に晴れたわけではないが、命に拘わるような病気ではない可能性が高くなってきたのだ。獣医は続けて『いずれにしても切らなければなりませんので、確定診断は出ていませんが、手術をしてしまいますか?』と聞かれた。どちらにしても手術・・・確かに。でも、切って開けてもしも骨肉腫だったら断脚?これは女房の意見だ。突然、僕が一人で結論を出さなくてはならない瞬間が訪れたのだ。しかし僕は女房ほど強くはない。ほんの一握りの光のために、毎日毎日襲い来る激痛に不憫な体で耐えながらその日が来るのを待つリッキーの姿を想像しただけでも耐えられないと思った。根性なしと言われても確かにそうだとしか反論のしようがない。そこで『もしも骨肉腫だった場合、断脚せずに安楽死をさせてあげたいので、断脚しないでいただけますか?』と聞いた。獣医は『先ほどもお話しましたが、その可能性はかなり低いです。しかし、飼い主様がそう願うのでしたら、もし開いてみて“骨肉腫の可能性あり”となった場合には手術を停止します。』と答えてくれた。そうなれば迷うことはない『お願いします』だ。足などいつでも切れる。お願いしたら紳士風獣医は他の獣医を呼んでくるようにチャーミングな女性に言った。そしてそのときこのチャーミングな女性も獣医であり、高田という名前であることを知った。そしてすぐに呼んだ獣医がやってきた。僕とほぼ同年輩のバリバリやりそうな獣医だ。名前を望月という。そしてその望月獣医から僕に話があった。『ご存知のように、このような手術の場合、麻酔をしなければなりませんが、その麻酔で命を落とすことも無いわけではありませんので、その辺のご理解を賜りたい。』と言われ、それに頷いて答えた。それから手術の日程についての相談があった。望月獣医は2月12日の水曜日が空いているという。しかし僕は水曜日は診療があるので来られない。その旨を告げると、『診療は何時までですか?』と聞かれたので『午後9時までです。』と答えた。当然無理だろうと思っていたら『何時頃連れて来られますか?』と聞かれた。『9時に診療を終えて、すぐ出て1時間。首都高が混んだら2時間。よって10時か11時になる』と話したところ『わかりました。その日は僕らは待機します。いいよな!高田先生。』と強い調子で高田先生の方をガン見した。高田先生も頷く。続けて『翌日の11日は祝日なのですが、病理の人も出勤させてリッキーが麻酔や抗生物質に対して過敏症などがないかどうかの最終検査をします。そして翌12日の午後3時頃から手術を開始します。確定診断を待たずしてのオペなので、はっきりは判りませんが、概ね2時間ほどの手術だと思われます。』と言われた。ここまで熱血にやってくれるのだったら、こちらとしても異存はない。『お願いします』だ。この日はこれで終了。その後例のチャーミングな高田獣医から10日に普段食べている餌、トイレシート、タオル等の持込品を聞いて帰宅した。


[気の迷い]

 帰宅すると、家族は『どうだった?』とすぐに聞いてきた。まず骨肉腫である可能性が低いと言われた事や、東大の獣医は十字靭帯損傷の可能性が高いと言っていることを伝えた。そして手術してもらうように頼んできたことも伝えた。女房・子供も気が気でなかったようだ。そして子供に十字靭帯損傷について詳しく説明し、命に拘わるような病気でないことを伝えた。脇で女房も聞いていてほっとしていた。
 子供が寝てから女房に正しいことを話した。まだ完全に骨肉腫の疑いが去ったわけではなく、どちらにしても手術が必要なので獣医の薦めで手術を依頼したこと。そしてもしも骨肉腫だった場合には僕の独断で断脚しないようにお願いしたことを。・・・・じっと聞いていた女房に『もしも骨肉腫だった場合、断脚しないっていうことは、痛みが強くなったら安楽死ってこと?』と聞かれた。・・・頷いた。『その時を誰が判断して獣医に言うの?』とまた聞かれた。『・・・・。』答えようがなかった。その通りだ。痛みには波がある。痛いときもあれば痛くないときもある。いくら痛くてもその場を通り過ぎればまた痛くなくなって普通のリッキーに戻るかもしれない。しばらく黙っていたら女房は寝室に入ってしまった。僕は居間でリッキーともう一頭のラブラドールに挟まって横になった。確かに女房の言う通りだった。僕にリッキーの最後の瞬間を決定することができるか?たとえ家族会議で話し合ってみんなが一致した意見であっても、いざその場に及んだときに『それではお願いします』と獣医に言えるか?答えはNo.に決まっている。僕にそれだけの意思の強さは持ち合わせていない。明日電話して『やはり骨肉腫だった場合には断脚してください』と連絡しようか?そうすれば僕の責任は随分と軽くなる。しかしそうして痛みと共に一年生かしたところでリッキーは幸せなのか?・・・・色々なことが頭を駆け巡り、その晩はほとんど一睡もできなかった。そんなこととはつゆ知らず、2頭の犬は僕を挟んで良い気持ちそうに眠っている。いい気なもんだ。
 そして翌日も翌日も考えた。同じことを何度も何度も。答は出ない。手術前日に電話をしてみた。断脚してもらうか、まだ迷っていた。また分離不安症候群のリッキーがどうしているかも気に掛かっていた。高田医師が電話を取次ぎ『食事を全然しないので困っている。何か好きなものはありますか?』と聞かれた。普段から食が細いことを伝え、チーズみたいなものなら食べるかもしれないことを話した。しかし断脚の話はできなかった。勇気がなかった。
 翌日。手術日だ。手術まではまだ時間がある。断脚を頼むならまだ間に合う。そう思いながらも、結局何もできないまま徒に時が流れた。午後3時。いよいよ手術開始の時間だ。心の中でもう一人の自分が『まだ間に合うぞ』とそそのかす。それを『これでいいんだ』というもう一人の自分が居てその両方の自分が正しくて優劣を付けがたいので胸が痛む。そしてとうとう手術終了予定の午後5時になった。終わった。総てはこれで良い・・・そう自分に言い聞かせて電話してみた。取次いでくれた人から『まだ術中なのでもう少ししたら再び電話してくれ』と言われた。そして6時にも電話してみたが同じ答えだった。約一時間ごとに電話してみてもいつも同じ答えだった。そしてとうとう8時を回った。・・・・長い。長すぎる。手術開始からすでに5時間経っている。2時間ほどの手術と言われたが、倍以上の時間がかかっている。何かあったのか?もしかしたら「すぐに来て下さい」と言われるのではないか?などと今度は断脚問題とは違った、しかもいらぬ不安がよぎり始めた。職場に一人でいても何にも手につかないので家に帰った。家族は僕が玄関に入るや否や『どうだった?』と聞いてきた。経過を報告し、まだ手術中であることを告げた。・・・・長すぎる。そして9時になったのでまた電話してみた。まだ手術中だという。すでに6時間だ。3倍の時間がかかっている。しかし、熱血の二人が付いているのだから何の心配も要らない・・・・と自分に言い聞かせるので精一杯だった。長い長い時間が過ぎていった。そして9時半。電話したら『今、終わりました。術後管理をしていますので、あと10分くらいしてからもう一度電話を下さい。直接先生がお話してくださると思います』とのこと。ぴったり10分後に電話してみた。代表の人が担当医につないでくれて話を聞いた。執刀医の望月先生だった。『今覚醒中なので、100%成功ですと言える状況ではないのですが、一応僕の感覚としたら成功だと思います。状態をお話しします。』と、『・・・開けてみてあまりにひどいのでびっくりしました。十字靭帯は断裂どころか消え去っていて、十字靭帯が付着していたと思われる部分の骨も剥がれていて、半月板はグチャグチャ。骨頭にひびも認められました。それらの総てに対処しなくてはならなかったので思っていたよりも時間が掛かってしまいました。すみませんでした。靭帯はとても再建できなかったのでナイロン糸を前後に4本通し、靭帯の代わりとさせていただきました。』しかし僕が一番聞きたいこと、そして一番恐れていることを先生はなかなか言ってくれなかった。恐ろしかったが、ここまで来たのだから。・・・・精一杯の勇気を振り絞って、先生の言葉を切るように『骨肉腫は?』と聞くと『一応目で見た感じではそれを疑うようなものは確認できませんでした。しかし一応疑って、周囲組織を採取し、病理に出しました。明日は木曜日ですから来られますよネ。結果は明日には出ますので、そのときに詳しくお話ができると思います。』と。『・・・・ありがとうございました。なんと言ったらよいのか判りませんが、とても嬉しいです。・・・・とにかくありがとうございました。』。電話を終えた後、なんとも言い得ぬ脱力感が僕を支配した。家族は僕が電話している時から僕の顔色を伺っている。早く報告しなければならないのは分かっているが、すでに頭の中は真っ白。しばらく時間をもらったあと望月獣医が言っていたことをそのまま家族に伝え、明日みんなで先生に合って直接聞こう。ということになった。僕らの心配などは知らずに、今きっと奴は麻酔が覚めて痛い思いをしているだろう。それにしても『あいつ・・・・頑張りやがったナ』『馬鹿野郎!心配させやがって・・・。』


[面会 ハンガーストライキ]

 翌日の木曜日。娘は学校を休ませて家族でリッキーにお見舞いに行った。早速出てきたリッキーは首にラッパ状のカラーを取り付けられ、首輪は逃げないようにキツキツのに変えられ、足にはバンテージ(ギブスのようにカチッとしたものではなく、かといって自由が利くわけではない緩めの拘束具)を巻かれ、その周りの毛は総て剃られていた。そしてJだろうか?その周辺に消毒液の固まったものがかなりの面積で塗られて乾いていた。少し痩せ細ったとはいえ、僕らの顔を見てすぐに解ってノソノソと近づいてきた。しかしその目に眼光はなくうつろな目をしていた。執刀医がすぐに来て『ちょっと元気がないように見えますが、まだ完全に麻酔から覚め切っていませんので。手術に関しては昨日お話した通りで、病理から骨肉腫ではないとの報告を受けています。それにしても強い犬ですね。覚醒した後もまったく平然としていました。普通骨折があれば触っただけでも「キャン!」とか「ウーっ」とか痛がるのですが、検査の時もあれだけ壊れた膝関節を逆に折っても平気な顔をしていましたから。だから骨肉腫などという診断が出てきてしまったわけですョ。もちろん剥がれた骨と剥がされた方の骨のレントゲン写真はきっと骨肉腫の様だったのだと思いますし。これでは騙されますよ。僕だって開けるまでは、簡単な手術だと思っていましたから。みんながすっかり騙されましたネ。半月板と靭帯がなくなって、骨頭にヒビが入っている関節で歩いていたわけです。凄い忍耐力をもった犬ですね。このあとは術部の絶対安静が必要なので2週間は入院してもらい、そして退院した後も約2〜3ヶ月は運動を規制してください。リードをつけて人と一緒に歩く程度であれば問題ありませんが、走ったり、特にジャンプしたりすることは良くないです。それと相変わらず食事はしてません。今日は手術後なので普通の犬も食欲がないのが普通です。できたら点滴だけでなく、一日でも早く口からも栄養を入れてやりたいのですが、完全に拒否していますので。今日は何か持ってきていますか?』女房が『はい。肉を茹でてきました。』『まず上げてみてください。ここで食べればいいのですが。』その後もそれほど重要でない話が続いた。しかしその後の説明は、すでにはっきりと“骨肉種でない”ということが判ったことに、胸がいっぱいになって話は右から左へ通り抜けていってしまった。ボーっとしていたら『・・ということです。』となったのでとにかく説明は終わったらしい。『ありがとうございました。』と心からお礼の言葉を述べた。『今後のことは高田医師に聞いてください』といって望月先生は席を外した。で、高田先生は『先日もお伝えしましたが、リッキーが食事をしなくて困っています。何か好きなものはありませんか?』女房が『チーズが好きです。食事の前に少しあげると食欲の扉が開くようで、そのあとならばドライフードでも何でも食べます。』と話した。『ありがとうございます。試してみます』と言って高田先生も席を外した。そして面会時間が少なくなってきたので、リッキーに女房が作ってきた肉を上げてみた。いつものように・・・・普通にそれをきれいにたいらげた。・・・・食欲がないなんて嘘のようだった。多分ガード犬として訓練されてきたので、他人に餌付けされぬよう、飼い主からの餌しか食べないようにされているものと思った。それか早く帰りたいがためのハンガーストライキかも知れない。この犬はそのくらいのことはよくやってくれるのだ。
 そして次の日曜日にまた面会に行った。今度は僕一人だ。ロビーで待っていたらけたたましく階段を降りて来る音が聞こえた。間違いなくリッキーだ。待合室の扉が開くのが待ちきれないらしく、僅かな隙間から鼻がのぞいた。間違いなくリッキーだった。その顔を見たときに彼が未だに餌を食べていないことが判った。ガリガリに痩せてしまっていたのだ。それでもびっこではあるものの、勢い良く扉を通り抜けて、獣医を引っ張りながら僕のところに来て跳び付いた。『ダメ!ダメ!足に負担が掛かるから。』と言いながら、まんざらでもない気分。こいつの喜びようったら、右に出る者がいないほど。少し落ち着いてきたら、「お手」や「チュ」を繰り返し、僕に媚を売ってくる。一緒に付いて来た獣医も『かわいいですね。でもやはり食事をしないんですよ。』と困った顔。そして執刀医の先生も来て『食事はやはりダメです。いろいろとやってみましたが、今は点滴だけで命をつないでいる状態です。もしもこんな状態が続くようであれば、最初にお話した2週間の絶対安静をとるための入院を早く切り上げて、早く食事をさせてあげた方が予後が良好のような気がしているのですが。』とのこと。『引き続き食事を拒否するようであれば、今度の木曜日に退院してもらって、ご家庭で絶対安静をとっていた方がいいと思うのですが、よろしいですか?』と聞かれた。しかし帰ればラブラドールと一戦交えることは間違いない『ラブラドールとジャレてしまうと思うのですが、大丈夫ですか?』と聞くと『まるべくさせないで欲しいのですが、食事しないのも良くないので』とこまった表情。あの熱血獣医がこんなことを言うのだからよっぽど無理を感じたのだろう。
 そして水曜日の午後に電話してみた。やはりまったく食べないという。そこで木曜日の退院が決定した。
 木曜日。僕が行くといつもの盛大なもてなし。絶対安静なんてどこ吹く風だ。持参した肉を食べさせ、少しでも空腹を紛らわした。あまり空腹だと帰りの長道中で車酔いをしてしまう気がしたからだ。会計は11日間で\187,390-。前の苦悩がこの金額できれいさっぱり拭掃されたのだから、僕にとってこの金額はとても安く感じた。

[退院]
 帰る途中何も問題はなかったが、あと家まで少しと言うところでフンフン言い出した。きっとオシッコがしたいのだ。そう思った僕は車を止め、ちょうどあった公園に連れて行ったら、まるで滝のようなオシッコ。それも「まだ出るか」というほど長時間にわたって。随分と我慢していたようだ。いよいよ家が近づいて来て、いつもの散歩コースが見えてくると車の中を行ったり来たり。落ち着きがなくなった。落ち着きがなくなったのは良いが、もしシートとシートの間に足を挟んだらまた大変なことになる。大急ぎで家に向かった。そして無事我が家に着いた。家に着いたリッキーは、いきなり階段を走り登って我が家へ。3本足でも実にうまい具合に登っていく。一本足が足りない事など何の苦痛でもないようだ。受け入れが速い。そして玄関に入ると家族のお出迎え。もちろんラブラドールもいる。呼吸が荒くなって興奮状態。このままでは暴れると思った僕は、意味もなく彼を叱った。意表を疲れた彼は尻尾を巻いて居間に入り、僕の思惑通り静かにしていた。そして徐々にいつものリッキーになって、ラブと早速ジャレ合っている。仕方ないか最初は。しばらく見ていたが問題なさそうだったのでそのままやらせておいた。すると一気に眠たくなってきたようで、放っておいたらすぐに深い眠りに落ちた。まるで死んだように眠っている。赤ちゃんのような寝顔。そのまま寝かしておいた。今のリッキーにはこれが一番良いと思った。そしてそれをずっと眺めていたら僕も眠気が差してきて、リッキーの隣でウトウト・・・・家族全員が再集結した喜びを感じながら。
 その晩の午前3時、彼の鳴き声で目が覚めた。彼はまるでうなり声のような奇声を発しながら僕にそのデカイ体を擦り付けて来る。全身を強張らせながら僕を押しまくる。それが10分くらい続いた。その後少し離れたところに移動し、僕に向かって『ワンっ』と一声。僕にはこれが何を意味するのかがはっきり解った。リッキーが今考えていることが。言葉を持たない彼らは行動や表情を使って実に見事な表現をする。リッキーに代わって言わせてもらうと『パパ大好き!大好き!僕だよ。ほら、僕だよ、でも何で一人にしたんだ。痛かったじゃぁないか。寂しかったじゃぁないか。』だ。そんな彼を僕は呼び、近くに来させ、思いっきり抱いた。言葉はかけなかった。でもきっと奴は解っているはず、僕の心を。『よく頑張ったね!リッキー。またよくなったら遊ぼうね!お前が好きだよ!』

 そして毎日食事を摂るようになって、ガリガリに痩せ細った体も徐々にではあるが回復してきている。そのためか足に巻いたバンテージがきつく彼の足を締め上げるようになってきている。少しだけ端を切って血流を良くしてあげた。明日は退院後初の通院日だ。


見るからに痛々しいリッキー

 2003年2月27日。1時の予約だ。11時に家を出て丁度12時半に病院に到着。すぐに高田先生と出会ったが忙しいようで『ちょっとお待ちくださいね』と言って、他の犬を抱いてエレベーターに消えた。そして丁度1時に呼ばれた。高田先生から『これからこのバンテージを外します。全身麻酔下で外します。』とのこと。元気が出てきたリッキーはやはり全身麻酔でないと手におえないらしい。そして約2時間待った。その間他の人と話をした。骨折で何度もプレートが動いてしまうスピッツ。癌で顔の半分焼け爛れたようになっている(放射線治療)ヨークシャテリア・・・etc.ここに来る犬はみんな大病だ。そんなことをしていたらリッキーが出てきた。全身麻酔がまだ完全に覚醒していないようで、最初僕に気が付かなかったようだったが、直後、気が付いて飛びついてきた。ここであまり動かしてしまってはいけないと思って、静かにさせようと試みたがダメ。すっかり興奮してしまっているのだ。そして高田医師が『こちらへどうぞ。望月先生からお話があります。』と言われたので従った。部屋に入ると望月医師の他に2名の可愛い女性がいた。もちろん高田医師も同席している。そして望月医師の話が始まったら、またリッキーも暴れ出した。望月医師も心配そうに見ているので何とか静めようと思ったがなかなか静まらない。そこで『良いですよ先生、話を続けてください』と言った。しかし話は途切れ途切れで暴れるリッキーを心配してくれた。が、そのとき僕に前足を掛けて立っていたリッキーが突然崩れ落ち、そして『キャンキャンキャン』とあの痛がらないリッキーが鳴いた。そして横になったまま動かなくなってしまった。右後ろ足が痙攣している。しかし何も出来ない。しばらく全員で見守る中、リッキーは再び立った。しかしその足は床に付けなくなってしまった。一時の痛みでありますように!と祈る気持ちだった。派手な痛み方だった。もしかしたら他の骨が折れたかもしれない。そう思ったが、術直後ではレントゲンすら撮れないことも承知していたので、『大丈夫でしょう』と言ってそのまま帰路に着いた。高田医師は『何かあったら電話してください』と最後に僕に伝えた。

[また?]
 2004年3月末。その後順調だったリッキーがまたびっこを引いた。前回の経験からしても、もしも同じ病気なら早く対処しなくてはならない。寝起きにびっこを引いてしばらくすると何ともなくなってしまう症状は前の時とすっかり同じ。ただし今回は左足。右が良くなったら今度は左か?・・・又手術か?『神様・・・もう勘弁してやってくれ!もうこの犬を切り刻むのは。どうしてこいつがこんな目に合わなければいけないの?何を悪い事したの?生まれてからずーっと切られっぱなしじゃないか!』そう思うと、この世には神も仏もないように思えた。しかし、びっこをひってしまった現実。対処せずにはいられない。早速、近所の動物病院を受診(4月上旬)。まずはレントゲンを撮って・・・・・。血液検査も。で、結論から言うと・・・「異常なし」だって。寝起きだけがびっこなので、獣医にかかる時にはすでに正常になってしまっている。つまり、獣医に行ったときには現症が出ていない、レントゲンに異常はない、血液検査でも異常なし、とあってはそう結論を出さざるを得ないのだろう。しかし寝起きは明らかに異常があるのだ。
 一度手術した先生なら判るかと考え、東大病院に電話してみた。受付が望月先生に直接つないでくれ、望月先生が電話に出てくれた。で、その旨を伝えると『すぐに連れて来てください。』と。しかし、電話をしたのは土曜日。『来週の木曜日まで連れて行けない』と言うと『明日は休みじゃないのですか?』と聞かれ、『でも明日は日曜日ですから』と答えると『日曜日でも来て頂けたら診ますよ。そんな状態じゃかわいそうじゃないですか』と。・・・・ありがたい。迷うことは無かった。一つ返事だ。午後二時にアポを取った。
 翌日連れて行くと、以前居た高田先生はもう辞められて、これからは今までの望月医師と越後という医師が担当になるということ。越後医師は背も高いし顔も二枚目で、俗に言う“イケメン”の医師だ。僕が女だったら嬉しいのだろうが・・・・・・。ところが、僕はこれはこれで実は嬉しいのだ。イケメンだからではなく、やはり犬が犬だけに、はたして女性に任せて大丈夫なのか?という不安があったからだ。暴れだしたら手に負えないことは明らか。暴れないことを祈っているばかりだった。しかしこれからはその心配がない。暴れても押さえ付けられるだけの腕力がある。それだけで安心していられるのだ。
 話は少々ずれたが、早速診察。視診・触診のあとレントゲン。そしてしばらくして、結果が出た。・・・・・やはり『異常なし』だ。以前の十字靭帯断裂の時も同じだったことを話しても、触診で関節に遊びが無いことから靭帯は切れていないとの診断だった。で、結局は経過観察。
 それからというもの、あまり無理をさせないように散歩にも連れて行き、様子を見ながら時には散歩をやめさせたりもしていた。徐々にびっこを引く回数が少なくなって来ているので、良くなっているのかもしれない。しかし、びっこを引くということは正常ではない。リッキーが大好きな机の下には少々厚めの布団が敷かれ、足が痺れないようにした。しかし、完全には治まらなかった。

[やっぱり]
 様子を伺いながら約2ヶ月が過ぎた6月23日。だんだんと良くなってきていると思って安心していた。そして、いつも通り散歩していた。森に行っておしっこをしてウンチをして。そしていつも通りのコースを走っていた。と、そのとき急にガクガクと走りがぎごちなくなって、足を上げてしまった。すぐに止まった僕は足を確認した。何か踏んだのではないかと思ったのだ。しかし、外傷は無かった。もしかしてっ!
 いつも行く動物病院は朝8時半から診療が始まる。自宅に帰ったのが8時だったので、そのまま動物病院へ直行。今回は明らかに足を上げているのだから判ってもらえるだろうし、診断も出ると思った。そして診察。レントゲンを見ても異常なし。その他、異常所見なしだ。正常???これでも???しかし、医師から告げられた診断は『正常』だった。獣医が言うには『十字靭帯が断裂していたら、関節が横にも動くようになります。要は顎の骨みたいに。しかしそれがないので、靭帯が切れているとは考え辛いです。ではその他、何がこのようなことを起こしているか?と言われると、何ともお答えし難いです。何せ総ての検査が正常なのですから。』と。
 痛がっているわけではない。熱があるわけでもない。片足を持ち上げてしまって、地面に付けない、ただこれだけが唯一の症状なのだ。放っておけばまた良くなるのかなぁ?と思って、また様子を見ることにした。しかし、今回はその症状に変化は無かった。仕方がない。また東大病院か。
 獣医にかかった約一週間後の6月30日。僕はまた東大病院に電話をした。案の定すぐに連れて来てくださいとのことで、翌日の木曜日(7月1日)に連れて行った。ここのところ、足をいたわって外に出ていなかったので、車に乗ったときのリッキーの自慢気な顔といったら無い。目がキラキラ輝いて『今日はどこに連れてってくれるんだい?楽しみだなぁ。』って。


耳を倒して喜びを表現する大はしゃぎのリッキー

 残念ながら良い所ではないんだと言っても解る由もない。とりあえず車を走らせる。窓から顔を出して意気揚々のリッキーだったが、東大病院が近づいてくるとその景色に覚えがあるのかあまり顔を出さなくなって目に曇りが見えてきた。助手席に寝転んで外さえも見ようとしない。そして病院に着いた。予約時間(12時)の5分前に到着。
 見覚えのある景色を目の前に、リッキーのテンションは最低にまで落ちた。あと5分ではあったが、落ち込んだリッキーの全身を撫でながら『嫌だよな。分ってるよ。でもその足じゃしょうがないだろう?原因を突き止めて、しっかりと治さなければ、お前の大好きなお散歩にも行けなくなっちゃうんだゾ。頑張ろうな!』と言って先に僕が車を降りた。そしてリッキーにリードを付け僕に続いた。
 受付時間はぴったりだった。人間の病院もそうだが、待合室には重苦しい空気が流れている。それが嫌なのでベランダで待った。すでにリッキーは欝になっている。


『今度は何すんだよ〜』って不安顔のリッキー

 待つこと15分、越後先生が僕らを呼んでくれた。状況を話して診察。まず、一旦診察室を出たところの廊下を僕がリードを持って2往復。越後先生はリッキーの歩き方、足の付き方、動かし方などをチェック。そして診療室に入って『寝かせられますか?』と言われたので、言われたとおり『伏せ』から『ねんね』をさせた。リッキーは素直に従っている。先生はリッキーの足を持ち、股関節、膝関節そして足首の順に曲げたり伸ばしたり、反対側に力を入れてみたり、横に曲げてみたりねじってみたりして関節の検査をした。見ているとプロレスの関節技みたいで、こちらが痛くなりそうなのだが、リッキーは平気な顔をしている。先生は首をかしげながら淡々と検査を続ける。・・・・・・そして終了。先生は『何でしょうね?』と。続けて『また呼びますから外でお待ち下さい』と言われたので従った。リッキーは終わったと思ったのか、ジャンプして僕に飛び付く。「オイオイ。もっと足が悪くなっちゃうだろ?解ったから・・・・・・静かにしてくれ」という感じ。ベランダに出て気分転換をした。色々な犬が来ている。癌に侵されたビーグル、一本足が足りないゴールデンレトリバー、妙に太ったデカいラブラドール・・・etc.みんなそれなりに何か病気を抱えている。飼い主もみんな暗い顔して・・・。
 リッキーは嫌な所に連れてきた僕を恨めしそうな顔で見ている。犬って目や表情で実に上手く感情表現をする。“目は口ほどにものを言う”という諺通りだ。ここは前に足の手術を受けた所。しかもその後監禁(入院)された場所なので、リッキーにしてみればここはとんでもなく恐ろしい場所なのだ。
 不思議なもので、ここに来るまでは『何ともないです。しばらくすれば治ります』と言われるのを期待していたが、ここで周りの犬を見ていると「リッキーは靭帯断裂くらいで済ませてくれ!」という気になってくる。命に関わらない病気だからだ。そんなことを考えていたら越後先生がベランダまで来てくれて『もしお時間があるようならば、これから麻酔を掛けて精査したいのですが大丈夫でしょうか?時間にして大体2時間くらいです。今1時ですから3時くらいまでだと思います。』とのこと。詳しく調べてくれるというのだから反対する理由は無い。リッキーはそのまま越後先生に連れられて検査室に消えて行った。そして僕は一人になってしまった。ベランダに来た犬の飼い主の何人かと話したりして時間を潰した。そして2時半頃『まだかなぁ?』と思ってベランダから室内に入った。途端に大げさな犬の叫び声が聞こえた。待合室中に響き渡る叫び声。待合室で待っている人も顔をしかめるその叫び声の主は・・・・・・声質からして間違いなくリッキーだ。しまった・・・!ベランダに居たから聞こえなかった。悲鳴としか聞こえないその泣き声、しかしあのリッキーが悲鳴なんか上がるわけが無い。違う犬か?????心配になって僕はそのまま検査室の方に行ってみた。大きな悲鳴が聞こえる検査室の前に立って、この扉を開けようか開けまいか迷った。迷っている間も悲鳴は聞こえ続けている。右手がドアノブにかかる直前「しかし望月先生も悪くしようとしているわけではない。あくまで原因追求して正しい診断をしようとしているのだ。」と思って手を引っ込めた。しかもこの泣き声がリッキーの悲鳴だと決まっているわけでもない。きっと違う、違う犬の声だ・・・そう思えるように、その声にリッキーの声との違いを見出そうとしていた。・・・結局、扉は開けられなかった。そしてドアに向かって心の中で『ゴメンよ。虐めているわけではないんだ。お前の足を治すためには仕方ないんだ。』とつぶやいてそのドアに背を向けた。そして廊下を歩き出した。後ろ髪を引かれる思い。弱虫の自分。嫌悪感の塊になって廊下を曲がろうとしたとき、その悲鳴がひときわ大きくなった。ドアが開いたのだ!すぐに振り向くと、中から越後先生が出てきた。・・・やっぱりリッキーの声だった。すぐに行こうとしたがやはり躊躇した。僕が行ったら何か悪いことでもされているのではないかと先生方を疑っているように見えてしまう。医療はお互いの信頼関係があってその上に成り立っているものなのだから、たとえどんなことがあっても、そのような行動は許されないと思ったのだ。仕方なく、出てきた越後先生にちょっと会釈をして僕はその場を立ち去った。そしてとにかく走った。すぐに病院を出たかった。とにかくあの悲鳴がリッキーのものであると知ってしまった以上、その悲鳴を聞くことに絶えられなかったのだ。外に出ると、リッキーの声は消えたが、耳に残ったその声は消えない。あの声は『助けてくれーーっ!パパーーーっ!』の声だ。
 今まで骨折しても、その骨折した骨を触られても声を出した事がないリッキーがあんなに悲鳴を上げているということは・・・・・。何にもできない自分に苛立ちを感じながら外に立っていた。そんなことを知らない学生や関係者が何食わぬ顔をして通り過ぎていく。中には友達と楽しそうに笑いながら歩いている学生もいる。当たり前のことだがそれがとても嫌だった。そしてその当たり前の事を嫌だと思う気持ちを持った僕にも嫌気がさした。誰が考えてもこの時の僕の精神状態は正常ではなかった。タバコに火をつけ、煙の揺らぎをじっと見て気持ちを落ち着けた。そしてあちこちと訳も無く歩き回って3時が来るのを待った。3時になって再び病院に入った。僕にとって病院に入るのはとても勇気がいることだったが、使命感が僕の背中を押した。
 入ってみるともう悲鳴は無かった。どうなったんだろう?落ち着かない気持ちのまま待った。30分ほどして越後先生がリッキーを連れて来た。『結果をお話ししますのでもう少々お待ち下さい』と言ってリッキーのリードを手渡して戻って行った。リッキーは僕の所に来るなり飛びついてきた。足が悪いのだから静かにさせたいのだが、そんな僕の忠告なんか一切気にせず飛びつきまくった。麻酔がまだ完全には覚醒していないのでフラフラしている。そんなフラついた足、そしてまだ焦点が合っていないような目で一生懸命僕に飛びついている。しゃがみこんで肩を軽く叩いてなだめた。しばしの後、流石のリッキーも疲れたらしく、すぐに横になってその場で眠ってしまった。しばらくそのまま寝かせておきたかったが、リッキーが寝てから10分ほどで、また越後先生が来た。『結果を報告しますので来てください』と。で、リッキーを起こし、連れて診察室に入った。そこには望月先生が立っていた。そして『結論から申しますと、残念ながらまた十字靭帯断裂です』と告げられた。ほっとしたというか又かというか、複雑な気持ち。しかし命に関わるような病気ではなかったのでそれはそれで良しとしなければならない。続けて望月先生は『筋肉がとても強い犬なので、触診でも判りませんでした。普通十字靭帯が切れていると、そこの関節が手で前後左右、自由に動くのですが、この犬は筋肉でそれを固定してしまっているらしく、触診では判断できませんでした。しかし、麻酔をかけたら難なく判明しました。』とのこと。
    ・・・・・・・・・・・・・また手術が確定した瞬間だった。
 先生の都合で、12日の晩遅くに連れて行って、13日にオペ。その後、数週間入院。『・・・・・頑張ってくれよ!また良くなったら一緒に走りに行こうね!』そう言いながらリッキーの目をじっと見つめてしまった。これから暑い時期だから、ビンテージやギブスをした時のカブレが心配。でもこのまま放っておくわけには行かない。・・・最悪。

 手術当日は仕事があったので行けなかった2004年7月13日。2度目であることと、今回は発見が早かったので骨折がないことも確認できていたので、僕自身が安心していたこともあった。確か月曜日だったと記憶している。その週の木曜日に面会に行った。
 受付に面会希望を告げると、しばしの後首に大きなカラーと足にビンテージを巻いたリッキーが現れた。最初獣医さんがどこかに連れて行ってくれると勘違いしていたらしく全く普通の感じでエレベーターから登場した。しかし僕の姿を確認した彼は、動かない足を無理に動かして獣医を引っ張り、周りの患犬及びその保護者を総てどかして一直線に僕の方に走ってきた。そして立ち上がって僕に抱きついた。『オイオイ、大人しくしろ!足が・・・駄目だ、全く言うことを聞かない。』危ないのですぐに待合室を出て外の空気を吸わせた。少し痩せてアバラ骨が確認できるようになってしまったが、すがすがしい顔で東大のキャンパスを闊歩するリッキー。しかしその足には痛々しいビンテージが巻かれ、決して軽い足取りで・・・ということではなかった。
 しばし二人の時間を満喫し、ご満悦の表情に変わったリッキー。傍から見たら僕もご満悦の様子だったことと思う。
 リッキーが落ち着いたので獣医さんと話をした。またハンガーストライキに突入しているとのこと。『前回の件もあるので、こちらで様子を見ていて駄目そうでしたら早めに退院ということでよろしいでしょうか?』と獣医さんも不安そう。『解りました』としか返事のしようがなかった。そして獣医さんからその週の土曜日に電話が掛かってきた。『やはり駄目なので明日退院ということでよろしいでしょうか?』と聞かれた。切ったばかりなので不安があったが、医者がその方が良いと言うのであればそうするしかない。
 退院は午後2時にということなので、少々早く家を出た。東大には午後1時に到着した。当日は日曜日。流石に患犬でごった返している。そんな中、受付に行って『ちょっと早く着いてしまったのですが、リッキーの飼い主です』と言うと『しばらくお待ち下さい』と言われた。こちらが早く着すぎているのだから『先生が忙しいようでしたらそちらを優先してください。早く来てしまったのはこちらなのですから』と付け足した。
 すぐにリッキーを連れた越後先生が現れた。リッキーは解っているのだろうか?今回は暴れない。静かに僕の横に付いて体を僕の足にもたれている。首のカラーが邪魔らしい。先生は開口一番『かなり強情な犬ですね。結局何も食べませんでした。傷の回復にはまず食べないと良くないので・・・。』・・・同感。注意事項を聞き、早速帰路へ。車の中ではカラーを外した。前のときもカラーはすぐに割ってしまった。きっと今回も同じだろう。事実翌日には割れて咬んでおもちゃになっていた。
 早速リッキーのビンテージ外しが始まった。暑い上に綿入れの着物を着ているようなものだから、その上これがあるから動き辛い。事を理解できない彼にとってはとても邪魔な存在であることは確かだ。翌々日、いつにビンテージはその役を果たさなくなった。傷口が開かないように固定しているホチキスみたいなものが痛々しい。


術後

それにしてもあまりに早かったのでまたビンテージをしてもらうのは恥ずかしかった。しかし、悪化するのもっと良くないので越後先生に電話してみた。『もうですか?』と言われた。『ここまで来るのは大変でしょうから、これからのことも考えて行きつけの獣医さんでやってもらったらいかがでしょうか?』と。そういえばそうだ。了解して早速かかりつけの獣医さんに行った。すぐにビンテージは完了したが、何とはなしに頼りないビンテージだった。薄くてしっかり固定されていない感じ。案の定、その日の夕方には取れてしまった(というより取ってしまった)。仕方がないのでそのままにしておいてみた。取れたのが功を奏してか傷口が乾いて良い具合に治ってきている。

 手術から2ヶ月が経った。しかしリッキーのびっこは治らない。足を付こうとしない。ご飯を食べているとき、水を飲んでいるとき、散歩でも・・・。唯一足を地面に付けるのは、相棒のラブとじゃれ合う(喧嘩?)するときだけ。心配なのでもう一度東大病院に行ってみることにした。早速電話して訳を話して予約を入れた。
 当日、高速を降りるとリッキーは行き先を理解して凹んだ。『大丈夫だよ、今日は診てもらうだけだから。お泊りにはならないから安心して!』と言ったが、彼に理解できたかどうかは定かでない。
 早速診察が始まった。望月先生も2ヶ月でこの状態では心配なので診て見るとのこと。『レントゲンなどの方向をしっかりしたいので麻酔を掛けさせていただきます。』と言われた。その後準備ができるまでの間、待合室で待った。リッキーも大人しく待っている。一緒に帰りたい一心で静かにしている。『ゴメンよリッキー。今日は診るだけなんて言って。診るだけは診るだけなんだけど、麻酔をするんだって。でもね、今日はお泊りにはならないからそれだけは信じて。絶対に連れて帰るから』と話した。
 しばらく出てこなかった。麻酔が覚めるのを待っていたものと思う。その後望月先生と説明を受けたがなんでもないとの事。不思議だった。前回は術後約一ヶ月で足を付くようになったと記憶する。しかし今回はその倍の時間が経過しても足を付かないのになんでもないとはどういうこと???正直な気持ちを尋ねてみた。その返答は『ご存知のようにここは医療機関でありますが、研究機関でもあります。よって今回はナイロンではなくポリエチレンの糸を使っています。また、大腿筋の筋膜を剥離して反転して関節を包んであります。よって術式が前回とは異なっております。』とのこと。・・・呆れた。呆れかえって言葉が出なかった。それを察知したようで望月先生は『何故ナイロンを使わなかったかというとその方が予後が良い例が多い』と取って着けたような言い訳がましい一言。予後が良い???これで?・・・まだ言葉が出なかった。しばらく沈黙が続いた後、望月先生は『もう一ヶ月くらい様子を見てください。それでも良くならなかったらまたその時点で考えなくてはなりませんね』呆れ過ぎた僕は冷静を取り戻していた。『解りました。で、その時点の考えというのは再手術ということですか?』と聞いたら『それもその時点の選択の一つだと思います。』だとのこと。リッキーが嫌がるはずだ。限りなく恐ろしい場所であることを理解した。
 それにしても、我々は可愛いペットが疾病を患い、それを治して欲しいからここに連れて来てるのであって、それ以外の理由は全くない。よって、当然手術前にはその詳しい説明があって当然。今回に関して言えば前回の時は詳しい説明があった。しかし今回はほとんど説明がなかった。このような場合、患者は当然前回と同じ手術だと思うに決まっている。しかし、異なった手術が行われた。僕も医療に携わる者として症例の一つ一つがある意味では研究材料であることは理解する。しかし、あくまでもリッキーはあなた方の研究材料ではなく、僕の可愛いパートナーです。違うオペをするようであればその説明くらいあってしかるべきだったのではないかと今でも思っている。手術が成功したかどうかやその予後がどうのこうの以前の話だ。

 その話を聞いて約1ヶ月が経った。リッキーは相変わらずびっこを引いている。しかし、上記のような事件があったのでもう東大病院にリッキーを連れて行く気はしなかった。痛がっているわけではないし、片足を着かないわけでもないし、世の中には片足くらい無い犬だって沢山いるわけだし・・・。もうこれ以上この犬を切り刻むことは心が痛むし、リッキーだって決して喜ばないだろう。僕の脇でゆっくり横たえているのが一番好きな犬だ。病院で一人で過ごす時間は僕らの想像が付かないくらい長く感じている事だろう。

[散歩]
 毎日の散歩は欠かさない。リッキーは散歩が三度の飯より好きなので欠かせないのだ。しかし雨が降るとリッキーは家に戻ってしまう。濡れることがとても嫌いなのだ。また、散歩は昼にしたり夕方にしたり夕方にしたりと色々と変化を付けている。訓練所の人に『食事でも散歩でも毎日同じ時間にさせると“自分がボスだ”と勘違いしてしまうので、あくまでも人間が主であることを自覚させるために、そうする方が良い』と言われたのだ。いくら時間をずらしても散歩に行く時は着替える必要がある。それをしていると暴れ出す。吼えるというよりは泣く感じで走り回って嬉しさを表現しながら『早く早く』とせがんでいるのだ。
 散歩は自転車で連れて行く。走ったって間に合わない。自転車はブレーキを左右逆にして、右手で後輪が効くように改造した。左手はリッキーのリードを持っているのでブレーキは右手でしか掛けられない。普通右ブレーキは前輪なので、後ブレーキ無しで前輪だけ効いてしまったら間違いなく転倒するからだ。リッキーはびっこを引きながらでもまるでなんともないような顔で走っていく。一生懸命漕いでも自転車が追いつかない。なるべく足に負担を掛けたくはないので、僕もリッキーに合わせようと全力で漕ぐのだが間に合わない。そして、まずはリッキーのお気に入りの森に行く。


いつもの森で

森では僕も自転車を降りて一緒に歩く。この森は沢山の犬の散歩コース。いつでも沢山のお友達に合うが、まず飼い主が逃げてしまう。ひどい飼い主なんかは『ほらほら、食べられちゃうよ』とか『咬まれるから』と僕に聞こえるように言って近付かない。この犬の容姿がいけないのだろうか?しかし『訓練を受けていないお宅の犬よりはおりこうさんだよ』と言ってやりたかった。また、誰も居ないタイミングに出会ったら、リードを外してあげる。天然のドッグランだ。でもリッキーは僕から離れない。僕を中心とした半径約5m以内からは出ない。だから安心していられる。森でのお散歩は、まずはあちこちにおしっこをして臭い付けをする。そしてしばらくするとウンチ。ウンチの前にはオナラが出だすのですぐに判る。そしてウンチを済ますと今度は置いておいた自転車の方に向かう。そして今度は僕が自転車にまたがり、リッキーと共に森を飛び出して近所を徘徊する。好きなコースは決まっていて、それは猫がいる所だ。何故かリッキーは猫がいると妙に興奮する。好きなのか嫌いなのかはっきりしないが、猫がいるとすぐに立ち止まって、ゆっくりと猫の方に近付く、猫も間抜けではないからある程度の距離が保てなくなると急に走り出す。それを追いかけようとするが、僕が付いて行けないので、いつも勝負は猫の勝ち。何度これを繰り返しても飽きないらしい。猫を飼っている家は決まっているので、その点と点を結んだのがリッキーのお散歩コースだ。森を出たリッキーはおしっこもウンチもしない。僕が自転車を漕ぎながら掛ける『右、左、止まれ、GO』の四つの合図に忠実に従いながら団地や住宅の細い路地(こういう所に猫多い)を闊走する。
 女房が家の前を掃除しているときに、知らない人から『オタク、よくご主人が自転車で犬を連れてますよね。アレってどういうふうに訓練したのですか?私の所も秋田犬を買ったのですが、上手く出来ないんです。』とのこと。特別訓練したのではなく、普通に『つけ』の練習の延長上にそれがあっただけで。特別自転車の訓練をしたわけではない。でも、人から見てそのように思えるのであれば、それはそれでまんざらではない。リッキーはおりこうさんだ。

[びっこ回復]
 それは偶然の目撃だった。いつも通りリッキーを散歩に連れて出た。いつもそうなのだが、リッキーは一気に森まで疾走する。その時は途中の細い道で車のすれ違いが出来ないらしく、お互いの運転手が出てきてお互い(両方オバサン)がお互いを非難し合っていた。僕が第三者的に見れば、充分にしかも簡単にすれ違える道幅があるのだが、そこは両方がオバサン、自分の主張だけをして相手の言い分を全く認めない。しばらく見ていたがあまりの下品さとえげつなさ、それにしばらく時間も掛かりそうなので、付き合うのを辞めて車の隙間を縫って通り抜けた。このとき『ウオっ』っとトンマな声を上げたオバサン。僕が通り過ぎると僕に向かって『危ないわねぇ』と。するともう一人のオバサンも『まったく、危ないヮ』と意気投合。・・・お前ら、道の真ん中で・もっと危ないヮ。
 オバサンの下品な罵声を後ろに聞きながら、リッキーは力強く僕を引いた。早く森に行きたかったのだ。と、そのときリッキーの後足が跳ね上がったように見えた。というより確かに跳ね上がった。一瞬僕の脳裏に嫌な記憶が蘇った。もうすぐ森だったので、そこまで走らせた。森に着いたリッキーをすぐに停止させ、後足を見た。しかし、なんともない。分からなかったのでそのまま歩かせた。・・・動いている・・・う、動いている、普通に。リッキーがびっこでなくなったのだ。おしっことウンチを済ませ、僕はリッキーを抱きしめた。そして言った・・・『苦労掛けたな。もう大丈夫だ。これから思いっきり走れるぞ。』


[犠牲者が増えた]
2005年02月。その日は疲れてリッキーとソファーで寝てしまった。まだ眼の覚めぬ僕に『パパァ、リッキーに咬まれた』との声。意識が朦朧としていたので『うん』と答えた。するとまた『パパァ、リッキーに咬まれた』との声。脳がこの言葉を理解するまで少々の時間を要した。・・・飛び起きた。すると足元に両手で顔を押さえた女房がいた。押さえている指の間から血が垂れている。『どうした?』と聞くと、やはりリッキーに咬まれたと。手をのけると顔面半分血だらけになっていた。『どうして?』と聞いたら『解らない』と。とにかく咬み傷の処置をした。リッキーの横に女房を連れて来て叱った。リッキーを叩いた。彼は悪そうな顔をして眼で『ゴメンネ』と訴えたので叩くのを止めた。歯が刺さった感じの穴が三ヶ所。一ヶ所はカギ裂きになっていた。それにしてもどうして・・・・。
 女房は、その日はいつものように子供を学校に送って帰ってきた。リッキーが起きていて、大人しくしていたので『いい子ねぇ』と言って抱きしめようと近付いたとき、いきなり唸り声と共に噛み付いてきたとのこと。
 何か勘違いをしている。
 そしてその理由は後から解った。学校に行った子供が残したハンバーグがなくなっていた。リッキーが盗んだようだ。僕を除けばテーブルに残したハンバーグに届く生き物はいない。そういえばリッキーは時々同じような勘違いをする。人の物を盗んだのは初めてだが、普通にもらった物を食べてしまったのにどこかに隠したつもりになっていることがある。多分このときもハンバーグをどこかに隠したと思っていて、それを守ろうとしたようだ。
 理由はともかく、これがやってはいけない事だと言うことを教えなくてはならない。僕の怒りを叩くことによってリッキーに伝えたが、本当のことを言ううとリッキーは痛みにはめっぽう強くて効果がないことを知っていた。最悪のこと(人を咬む)をするとどうなるかをしっかりと教え込むためには、最大限の苦痛を与えなければならない。リッキーが最も嫌いなこと・・・・・それは“無視”だ。仕事から帰ってくるとリッキーは大喜びで大騒ぎする。そこから無視。まったくの無視。2日目になったら恨めしそうな顔をしながらも僕の気を引こうとおもちゃを持ってきたり色々と仕掛けてくる。それも無視。ラブとは普通に遊んであげる。そして3日目の朝、女房が『もう許してあげたら?』と言われたのでリッキーを呼んだ。女房も呼んだ。そしてまだ痛々しい傷の残る女房の顔をリッキーに見せた。気まずそうな顔をして女房の顔を直視しない。リッキーの顔を抑え、鼻を女房の傷に押し付けて僕が大きな声で『ウウウ〜っ』と怒っていることを声で表現した、そしてその直後、まず女房にリッキーを撫でさせた。そして僕も撫でた。リッキーにお許しがでた瞬間だ。
 リッキーは確実にこれを理解した。驚いたことにそのあと女房の顔の傷にそっとチュをしたのだ。『ゴメンネ』という気持ちの表現であることが実によく解った。リッキーを抱きしめた。その後も女房の傷を見るたびにチュをするそうだ。
 今後このようなことが無いことを願う。


 その後のリッキーは実に良い子で順調な日々が続いた。五体満足・・・これが一番。今までの切り刻まれながら生きてきた4年間。ドーベルは案外と短命で10年くらいだと聞いていた。平均寿命で逝くとしたら、残りはったったの6年。6年なんてあっという間だ。そう思うと切なくて・・・リッキーを呼んで抱きしめた。・・・もう病気をするなよ!お前が逝くまで俺はお前と一緒だからな。

[心筋症]  2005.04.12 
 そういえば、最近リッキーの調子がイマイチ良くない。大好きな散歩に連れて行っても、以前は大好きな森まで一気に走り着いたのが、一週間くらい前からだろうか、途中で早歩きになってしまっていた。食欲はそれほど落ちてはいないと思うが、以前より小食の犬なのではっきりしない。家に帰ってきてもぐったりとしてしまう。僕が家に帰ると玄関に僕の足音を察し、中でバタバタ安暴れて吼えまくっていたのが、ソファーに横たえたまま僕が部屋に入ると『お帰り』みたいな・・・。
 そして、とうとう昨夜は寝られなかった。リッキーに何か異変が起こっている。心臓がバクバクし、呼吸が深く大きく、そしてまるで喉の奥の方に魚の骨でも刺さっていて、それを吐き出すかのような行動が続いた。嘔吐は無いが、とても辛そうだ。薄暗がりの中で、時折『助けてっ!』という眼で僕を見ている。どうすることもできない。さすってやり、撫でてやり、落ち着かせようと必死で一夜を過ごした。
 朝になってやっと落ち着いてきて、僕も30分くらい寝られただろうか。
 かかりつけの獣医さんが開くのが8時半。一番の患者(患犬?)として獣医さんにリッキーを連れて行った。かかりつけなのでリッキーも慣れたもの。ちなみに近所の獣医さんはドーベルと告げただけで診療拒否される。でも、リッキーが小さい頃から行っている獣医さんは危なくないことを知っているので何の問題もなくる診てくれる。それどころが、リッキーのことが大好きだと言って可愛がってくれる。飼い主としては本当に嬉しいことだ。獣医に着いたリッキーは暴れることは無かった。体温を測って、聴診してレントゲンを撮って。・・・診断は“心筋症の疑い”。かかりつけの獣医さんには機械がないので確定診断はできないので“疑い”なのだそうだ。よって、またあのリッキーの大嫌いな東大病院に行って診断を仰ぐこととする。帰りに薬をもらって帰ってきた。ゲーゲーを止める薬と強心剤だそうだ。
 午前中に予約の電話をした。望月先生は他の大学に行かれたので、前回の越後先生ともう一人また新たなDr.が付くとのこと。木曜日の午後1時に予約を入れた。
 心筋症は心不全の内で原因が明確でないものを指すらしい。拡張性心筋症と肥大性心筋症があり、ドーベルマンにも好発するらしい。インターネット検索によると『心筋症の予後は、残念ですが、通常は治療しても6ヶ月。長くても2年以内に死亡します。』と書かれている。
 心不全なので、つまりは心機能が通常通りに行っていないということ。心臓がまともでないと要は酸素が末端まで行かなくなって酸欠に陥る。酸素は生命の源であり、動物(含ヒト)の総ての臓器、組織、細胞が酸素を燃やすことによって活動し、維持されている。よって酸欠になれば各臓器はの機能は総て低下する。例えば脳が酸欠になれば失神する。また、脳自身も酸欠を補おうとして心臓をより活発に動くように指示するので心拍数が多くなり、しかもその鼓動は大きく強く打つようになる。しかし、ほとんどの場合、心臓の弁がやられてしまっているので血液はしっかりと送られていない。肺に水が溜まるのも酸欠によるものだと思うが、その起序(理由)は解らないので、後で調べることにする。肺に水が溜まると苦しいので、それを吐き出そうとして嘔吐様の行動を起こす。また、酸欠ということは要は貧血を起こしている訳で、口を開けて歯肉を見てみると以前より蒼白(白っぽくなること)になる。また、酸素が充分でないので疲れやすくなる。リッキーの場合、その総ての症状が一致する。よって多分かかりつけ獣医さんの診断は正しいと僕も思っている。
 心筋症になると、その決定的な治療法が無く、結論から言えば対症療法のみで、その重篤度(病気の重さ)によって遅かれ早かれ他界する。上記したようにインターネットによると、発症してから概ね半年〜2年と書かれている以上、もしも心筋症だったらこの心臓が一回でも多く鼓動するように、そしてその日が来るまでできるだけの事をしてあげたいと思う。

史上最悪の日 2005.04.14
 今日は東大病院に行く日。とうとうその日がやって来てしまった。出来たらかかりつけ獣医さんの誤診であって欲しい。そう思いながら家を午前11時に出た。診察の予約は午後1時から。途中、リッキーの大好きな森に寄った。おしっこを済ませ、ついでにウンチもしっかり出した。さっぱりした顔をして、もう帰ろうと車に向かって歩き出した。いままでだったら、車の方に連れて行こうとしてもなかなか歩いてくれなかったのに・・・。
 ガソリンを満タンにしていざ出発。いつものように『どこに連れてってくれるんだい?』てな顔して外を見ている。遊びに連れて行ってくれると勘違い。リッキーはいつもそうだ。期待に満ちたキラキラした眼。場合によってはこれからこの顔は見られなくなるかもしれない。そう思いながら東大病院に向かった。道が結構混んでいて時間がかかった。首都高の5号線。いつも東大病院に行くときに通る道。板橋辺りを通過中、急にリッキーのテンションが下がった。自分がこれからどこに連れて行かれるかが理解できたようだ。リッキーは一気に横になって外を見るのを止めてしまった。薄目を開いて寝た振りを決めている。しかし、車は確実にリッキーの最も嫌いな場所に向かっていた。
 午後12時34分、到着。まずはキャンパスを歩いて、またおしっこをさせた。前に病院内でしてしまったことがあるので、その辺の配慮もしなくてはいけない。いよいよこれからが本当の戦いになるかもしれない。フンドシを締め直す気持ちで病院の前に立った。そしてリッキーに言いきかせた『いいか、リッキー、これから医者からひどい宣告を受けるかもしれない。そしてそれによって僕が振り乱さないとも限らない。いいかリッキー、お前だけはおとなしくしてろよ。分ったなっ!』言葉に出して言った。これは自分自身に言い聞かす意味もあった。
 受付を済ませて待った。混んでいた。沢山の重症の犬達が居た。足が一本無い犬、片目が無い犬、妙に太っていたり痩せていたり。みんな大変な思いをしているんだ。小一時間が経った頃越後先生が来た。『お久しぶりだね!リッキー』と声を掛けてくれた。早速問診の部屋に連れて行かれた。リッキーの不安はもう最高潮に達し、僕に飛び付いて来る。話もおちおちしていられない状況。そんな中で今までの経緯を話した。・・・越後先生の目から輝きが消えた。そして『まずレントゲンとエコーをやります。用意をしますので、その間に受付前の体重計で体重を量っておいてください。』とのこと。早速計ってみると39.0sだった。初めて40sを切った。
 また小一時間待った。そして越後先生に連れられて診察室に入って行った。この時は諦めたのかおとなしく付いていった。
同じような境遇の人が沢山いるのでいつも話をする。お互いを慰めたり情報を交換したり。そんな中、スキンヘッドの男性が『凄い犬ですね。元気そうですけど、どうなされたのですか?』と聞いてきた。今までの経緯を話し、確定診断ではないが、今は心筋症という診断が立っていて、その病気について説明した。『誤診なら良いですねっ!そうであることを望んでいます。』と言われた。気持ちが凹んでいたので救われた気持ちだった。
 そしてまた小一時間経ってリッキーが連れられて来た。そして『お話がありますのでこちらへ』と診察室に連れて行かれた。リッキーを暴れさせたくないので、ベランダの手すりにリードを結んで待たせ、僕だけが診察室に入った。
 診察室に入ると大きなレントゲンがシャーカステンに掛けられ、越後先生以外のもう一人の先生が居た。見るからに信頼できそうな風貌の先生だったが、名前を言ってくれなかったのでここでは紹介できない。その先生がレントゲンとエコーを僕に見せて説明してくれた。そして最後に『拡張性の心筋症です。』と結んだ。そして心筋症についての説明が始まったので、僕がある程度の知識をインターネットで入れてきたことを報告すると『分りました。歯医者さんですよね!では結論から申します。治療法はありません。リッキーはかなり重症です。重症だから治らないというのではなく、この病気は不治の病なのです。よって進行を出来るだけ抑えて、症状をなるべく軽減させて、出来うる総てのことをして最後を迎えるしかありません。』とのこと。・・・そのことはもう分っていた。もっと突っ込んだ話が聞きたい。でも僕自身が泣いてしまいそうで・・・喋れない。喋りだしたら涙が止まらなくなりそうだ。でも、ここで頑張らなくては・・・勇気を出して『先生の経験からして最後の日はどのくらい先でしょうか?』と単刀直入に聞いた。声が震えているのが自分でも判った。先生は少々驚いたような表情をしたが『薬が問題です。人間でも同じですが、薬が合う・合わないがあって、合えば1年くらい先でしょう。合わなければもう間近だと思います。』と。・・・『ワカリマシタ』と言うのがやっとだった。
 越後先生は何も言わなかった。そのまま診察室を出た。先生にお礼を言ったかどうか?今でも覚えていない。脳が破裂しそうだった。『正常になれ』と自分に向かって何度も心の中でつぶやいた。
 リッキーをつないだベランダに向かった。リッキーはおとなしく待っていた。何故それが判ったかというと、リードをゆるく結んでいた(引くと締まるように結んでおいた)のがそのままだったから。僕が戻ったとき初めて引いて結びを締めた。『おりこうさん。よく大人しく待ってたね!』『でもリッキー・・・最悪だよ』そう言ってもリッキーは尻尾を振って僕に抱き着いてくる。『早く帰ろうよ』&『今回は置いていくなよ』ということだ。『大丈夫だよ、もうお前の大嫌いなここに二度と来ることは無いだろう。安心して大丈夫だよ。』そう応えた。しかしそんなこととはつゆ知らず、早く帰ろうとせがむリッキーがいじらしく思えた。
 会計が出るまで待合室で待った。頭の中はもう真っ白で何も考えられない。誰もいなかったら涙していただろう。みんなが居るので、悲しい素振りも見せられない。グッと堪えていた。僕の中で時間が止まっていた。そうしたら先のスキンヘッドの男性が来て『どうでしたか?』と聞かれた。『駄目でした。・・・』もう少し詳しく話したかったのだが、言葉がつかえてしまって出なくなった。それを察した彼は『そうでしたか。お気を強く持ってください。こんなイカツイ犬でもあなただけが頼りなのですよ!』と。また泣かせる事を言われたものだから胸がいっぱいになってしまって・・・・・ただその人の話を聞いていた。そしてその人は『お大事に!』と笑顔で去っていった。救われた気がした。
 しばらくしてまた越後先生が来て『悪い病気になってしまいましたね。』と。返す言葉は無かった。事務的に診療費の詳細について報告されて費用を支払って帰路に付いた。
 帰りの道路はすいていた。しかし車の運転が注意散漫になっているのが自分で分かったので注意深く車を進めた。いつも助手席に陣をとるリッキー。走行中、どうしても時折彼を見てしまう。「もう余命幾ばくもないのかぁ・・・。」リッキーは解っているのか?
 東大病院に行った帰りは必ず寝てしまうリッキー。大嫌いなので、病院に居る間ずーっと不安で疲れてしまうからだった。しかし今日のリッキーは違っていた。帰りの車ではきちんとオスワリをして景色をずーっと眺めている。彼にとってはもう見ることのない風景だ。まるでその景色を瞼に焼き付けているように思えた。不思議だった。結局最後まで寝ずに家に着いた。
 帰ってきて女房に報告した。女房は前もって悲しんでいたので覚悟は出来ていたらしい。動揺はなかった。
 家に着いたリッキーは死んだように眠りだした。僕の足に少しだけ触れながら。


[日常]2005年04月19日

 一日一日その日が確実に近付いているのだろうが、リッキーは相変わらず。どの犬だって・・・人だって、僕だって、追ってはこれを読んでいるあなただって確実にその日が近付いていることに違いは無い。問題はそれまでの期間だ。不整な心臓の動き、呼吸の深さは変わらない。歯肉の色も変わらない。ゲーゲーだけは利尿剤が効いているのか止まっている。
 散歩は朝に決めた。僕が家に居るといつ連れって行ってくれるのかとの期待で動きが激しくなるからだ。散歩は車で行く。いつもの森、そしてリッキーの好きなコース。森ではウンチ&オシッコをして・・・。その後、再び車に乗り込み、いつものコースを巡回して来る。家に着いてからはノーリードで駐車場を僕と一緒に歩く。『つけ』『止まれ』『GO』だけの合図だけだから彼は難なくこなす。この病気になる前の自転車の時は『右』『左』の合図があった。いつも僕がどのような行動を取るかを五感で察知して、瞬時に読み取り、それを行動に移す。ちょっと遅れただけで『左』なんかは自転車と激突だ。最初の内はそういうこともあったが、もうこれは二度とない合図だ。・・・『安心して!』。
 散歩は一日一回であることを知っているリッキーは、朝散歩に連れて行けばあとの一日を寝て過ごす。・・・そうそう、そうやっているのが心臓には一番いいらしい。
 そういえば昨夜のリッキーは妙に身体をくっつけて寝てきた。心臓の動きが僕の身体に伝わった。呼吸も大きいのが良く判る。リッキーの胸にそっと手のひらを乗せた。リッキーは一瞬薄目を開けて、手を乗せたのが僕であることを確認して、安心してまた眼を閉じた。・・・“おまえ、何とかなってくれョ!”と、今僕の手のすぐ下にある心臓に頼んでみても何にも変化はなかった。当然なこと。しかしそうなることを何度も何度も祈っていたら、いつしか僕も眠りに着いていた。 



以前どこかのHPで見つけた『犬の十戒』を思い出した。


【犬の十戒】

1.私の一生は10年から15年なのです。だからいつも一緒にいたいのです。
2.あなたが私に何を望んでいるのか理解する為に私に時間を下さい。
3.私を信頼して下さい。それは私の幸せにとってとても大事な事なのです。
4.長い時間私を叱らないで下さい。そして罰として長い時間閉じ込めないで下さい。 あなたには仕事も楽しみも、そして友もいるでしょう。だけど私にはあなただけ・・
5.折に触れ私に話しかけて下さい。例え私があなたの言葉を理解できずとも・・・あな たが私に話してくれる時、あなたの声を理解しています。
6.あなたが私をどのように扱っているのか気づいて下さい。私は決して忘れません
7.私を叩く前に思い出して下さい。私にはあなたの手の骨を噛み砕く歯を持っている 事をそして私が噛まないだけだという事を・・
8.私が協力的でなかたり、強情であったり、怠惰であったりした時に私をとがめる前に 考えて見てください。何か原因があるのではないかと・・正しい食事を与えているだ ろうか?直射日光に長時間さらしていたのでは?私の心臓が年と共に弱っている ので?等と・・・・
9.私が年をとってもきちんと面倒を見て下さい。あなたも同じように年をとるのですか ら・・
10.最期の旅立ちの時も私と一緒にいてください。見るのがつらいとか、私のいない 所で逝かせて等と決して言わないで下さい。あなたと一緒にいれば私は全てを受 け入れる事ができます。忘れないで、私があなたを愛している事を・・・



・・・本当にそうだと思う。しかし、10 の『あなたと一緒にいれば私は全てを受け入れる事ができます。』の全てって“死”をも受け入れるのだろうか?


[薬の飲ませ方]
 基本的にこの病気には治療法がなく、薬物療法だけが頼りみたいです。
 よって薬を飲ませなければならないのですが、リッキーは結構薬嫌い。口の奥に入れても吐き出してしまう。そこで奥に入れたらすかさず水を入れてみた。水が気道に入ってしまったようで、メチャクチャ咳込んだ。
 訓練所に電話して薬の上手い飲ませ方を聞いた。
 薬はまず右手に持ち、左手の指先を奥歯辺りのほっぺに置き、力を入れると段々と口を開きます。ほっぺたと共に上下奥歯の間に指を挟みこみ、口を閉じられないようにします。そのまま顔が上に向くように左手で誘導し、上を向いた所で飲ませるべき薬を喉の奥に転がし込みます。奥に上手いこと入ったら(見えなくなる)左手を外し、口を閉じさせ、今度は左手で鼻と共に上下の顎をくっつけるように持ち(つかむ感じ)、少し様子を見ます。上手く行く時はこれで飲んでいます。しかし、これでも飲まない特にはそのまま鼻ごとつかんだ左手を自分の顔に近づけ、鼻の穴に向けてフッと息を掛けます。するとコクっと飲んでしまいます。もしも好きな飲み物があったら、この後上げるようにします。・・・やってみたらメチャクチャ簡単に飲んでくれました。読者方も犬が薬を飲んでくれないような場合は試してみてください。結構上手く行きます。

[そして・・・]2005年04月21日
今日は海は時化だし、いままで片付かなかった釣り道具やその他諸々の片づけをしようと思っていた。しかしながら今日は妙にリッキーのことが気に掛かった。外で汚れたままになっていた釣り道具を洗ったりしていても何故か妙に気になる。だからまた居間に戻る。しかし今日のリッキーは少々元気がないものの食欲もあるし、朝の散歩でもたっぷりのおしっことしっかりしたウンチをして・・・それから車でのネコのポイントめぐりも気合が入っていて、これといった大きな変化はなかった。しかし気になっていたので、思いのほか仕事がはかどらない。だからチョクチョク居間に帰ると、そのたびに相変わらず大喜びをしてくれる。キラキラとした目で僕に飛び付いて来る。『オイオイ、心臓に良くないから・・・』と言ってなだめるも効果なし。しかし、それも持続せず、すぐに自分の布団に行って横になっている。これから短くても数ヶ月はこういう生活になるだろう。チョクチョク行っていた釣りにも行けなくなっているし、仲間とも合っていない。近所(と言っても車で30分くらい)に大切にしている釣り仲間がいて、先々週に船頭さんからその仲間への預かり物があったし、今日は気晴らしをしたい気分でもあったので昨夜その旨を電話した。そして、今日の午後に彼から電話があって『何時頃来られますか?』と聞かれた。その頃はまだリッキーもそれほどの異常はなかったが、何か妙に気に掛かっていたので、もう少し様子を見てからと思って『夕食をとってから行きます。』と伝えた。それにしても片付けも気に乗らないし、とにかく何かが変。食事まではまだまだ時間があったので、その間にこの間技工室の棚が落ちて、そのままになっているのでそれを直そうと職場に行った。そして7時になったので、そろそろ食事だろうと思って家に帰るとまたまたリッキーの大歓迎。すぐに女房が『今丁度ご飯を食べ始めたのに・・・』との苦情。そもそも食の細いリッキーは、このように食事の最中に僕が帰宅したりすると食べなくなってしまうのだ。そこで僕は彼のドライフードにまぶされた鶏肉だけを拾い集めてリッキーの口元に持って行った。・・・食べない。タイミングを外してしまったようだ。諦めてコンピュータを立ち上げているときに、女房は何とかリッキーに食べさせようとチャレンジしていた。と・・・『パパ、リッキーが変』と言ったので慌ててリッキーの方をみると、うなだれている。しかし、すぐに普通に戻った。女房が餌を食べさせようとしていたら急にビクッと動いて止まってしまっいうなだれていたとのこと。ビクッとしたときになんかビックリしたような目で女房を見たそうだ。しかし、続きを食べはしないが(良くあることなので)普通に戻ったので良しとした。しかしその後、すぐに横になってしまったので、さすりながら様子を見ていたらお腹がビクッ・ビクッっと時折動いている。丁度人がシャックリをするようなお腹の動きだ。相変わらず呼吸は大きく・早く、心臓も不規則に浅く動いている。そして辛そうな眼で僕を見た。しばらくすればよくなるものと思っていた。が、その30分後が事件の始まりだった。
 いきなりゲーゲー始めた。心筋症の発症時と同じように、何かを吐き出すような行動だ。利尿剤も飲ませたし、ここでゲーゲーするのはおかしい。医者に診せなければと思ったが、掛かりつけの獣医は今日は定休日。・・・ついてない。心筋症は肺に水が溜まるのでそのような行動を取るのだが、利尿剤も飲ませているので何故このようになってしまったのか解らない。しかし、とりあえずもう一度薬を飲ませてみた。苦しい中でもリッキーは一生懸命にそれを嚥下した。もしかしたらやっているかもしれないと思った僕は獣医に電話を入れた。留守番電話の声がしたのですぐに切った。しかし、治まる気配は一向になく、その症状はどんどんと悪くなっているのが目に見える。リッキーは『辛いよー』『何とかしてよー』と目で訴えている。このまま肺に水が溜まりすぎて窒息死するのか?・・・辛すぎる。そんな中、女房はまだ冷静だった。もう一度獣医の電話して留守電の録音を聞きなおしていたのだった。すると『急を要する場合はメッセージを入れてください。5分以内にこちらから連絡します。5分以内に連絡がない場合は申し訳ございませんが他に連れて行って下さい』とあった。早速メッセージを入れた。
 3分くらい後に電話が来た。神からの連絡のように思えた。症状を話すと『すぐに連れて来られますか?』と聞かれたので『今から行きます』と答え、すぐにリッキーを乗せて獣医さんの所へ行った。
 獣医さんの所に付いたリッキーは最初はゲーゲーしなかった、早速採血しレントゲンを撮った。採血のときにまたゲーゲーが始まった。レントゲンには素直に従った。もう慣れっ子になってしまっているようだった。レントゲンを撮っている間に女房と子供も来た。そしてリッキーが返され待合室で待った。待合室でのリッキーは相変わらずゲーゲーを繰り返し、『辛いよー』と悲しい眼をして何度も僕の顔を見た。いつもよりレントゲンが出てくるのが遅かった。現像液が温まっていなかったのか、とても長かった。もしかしたらそう思えただけかもしれないが。リッキーの眼を見ている僕も辛かった。リッキーはあまりに辛さに身体を置く所がないらしくゲーゲーしながら待合室をウロウロして、時折座り込もうとするが、胸が床に付くと痛いらしく、すぐに立ち上がってしまった。座ることも出来ないのだ。待合室で待っている時間の後半は、リッキーは時折僕の所に来てもの凄い眼で僕を見た。明らかに『苦しいよ。殺してっ!』という眼だった。半分は“そんなことはない”と思いながらも、半分は本気でリッキーに言った『絶対、今の今、お前を楽にしてやる』と。そして脇にいた女房に『このゲーゲーが取れないようであれば安楽死させたい』と言った。女房の身体が瞬時に硬直したのが判った。一瞬にして目が赤くなった。『このまま生かしておいてもかわいそうなだけだ。どちらにしても心筋症なのだから長くは生きない。』・・・しばらくの沈黙の後、女房はうなずいた。そしてリッキーに抱きついた。リッキーは相変わらずゲーゲーを繰り返している。内蔵を吐き出す勢いだ。そんなリッキーを見ていられない子供は遠く離れていたがすぐに撫でに来た。僕は女房と同じことを子供に伝えた。子供の目から大粒の涙があふれ出し、さする手に力がこもった。
 そして待ちに待ったレントゲンを持って先生が現れた。その獣医さんの顔を見た瞬間、背筋に冷たい物が走った。心臓が巨大であることは今までのレントゲンで判っていたが、今日は胃が巨大化し、腸管も太くなっている。先生もそれを指摘して『胃捻転』ですとのこと。一瞬、胃捻転だったら簡単に治ると思ったが、その直後、リッキーは心筋症なので麻酔が打てないことに気付いた。先生からも『胃捻転は外科処置しか方法がありません。しかしリッキーは心筋症なので・・・』と言われた。リッキーはゲーゲーを続けている。どうすればいいんだ!何か良い方法は無いのか?先生も悲しそうな眼をして無言で僕を見ている。何か施す手立ては???・・・・しかし、無情にも何にも打つ手はなかった。あえて危険を覚悟で胃捻転の手術をしたとしても、その後の余命がどのくらいあるのかも分からない。どうすればいいんだ!!!!!! 悲しそうな顔をしている先生にこういう場合の対処法を聞いてみた。『あれだけ痛みに強い犬がこれだけ苦しんでいます。先生がお考えになっている通りしかないと思います。』震える声でそう告げる先生の目には大量の涙が。
 僕は安楽死しかないことを悟った。・・・僕も震える声で先生に先ほど女房・子供に話した事をそのままお願いした。頭の中が真っ白で何も考えられなかった。ただ、今のリッキーを楽にさせたい一心だった。『安楽死』・・・その一言を伝えるだけなのに声も上手く出ず、全身に力を込めて告げたので、大きな声になってしまった。女房・子供は泣き伏した。先生は『解りました。用意をしますので、心構えが出来ましたらお呼び下さい』と言って中には入って行ってしまった。あまりにも突然すぎる最後通告だった。女房・子供に『最後だ。撫でて・・・』と言った。僕はリッキーを抱こうとしたが、ゲーゲーがひどくてそれも出来なかった。いつまでも撫でていたかった。家族も同じ気持ちだったろう。しかし骨折して、その部分を触っても痛がらなかった犬がこれほど苦しんでいるのだ。結果は決まっているのだから、少しでも早く楽にして上げたい一心ですぐに先生を呼んだ。そして立会いを許可してもらい、女房・子供にも『もしも立ち会いたかったら来なさい』と伝えて診療室に向かった。女房・子供も付いてきた。先生は2種類の薬液を持って現れた。先生と僕がリッキーの前に、横に女房と先生の奥様(こちらも獣医師)が付き、そして斜め後ろに子供が付いた。リッキーがまったく動かなくなった。これからどんなことが起きるのかを悟ったようだ。そして左前足の血管にまず全身麻酔薬を注入した。そのとき僕はリッキーの顔をじっと見ていた。辛そうな眼は終わって悲しそうな眼になっていた。じっと僕を見つめるリッキーの眼・・・この眼が今までの僕とリッキーの総てだと直感した。『パパ、これからパパがしようとしている事を理解したよ。4年半の短い時間だったけどありがとう。』あの眼はそう確実に僕に伝えていた。僕も眼で「ありがとう。お前と合えて幸せだったよ」と返した。
 ・・・・犬の十戒にある10 の『あなたと一緒にいれば私は全てを受け入れる事ができます。』は本当であることを知った。そして徐々に麻酔が効いて来たのか、眼で『パパ、ありがとう、楽になってきたよ』と伝えてくれた。その直後眼を閉じ、立っていたリッキーが崩れた。そして二つ目の薬液。これがリッキーの“生”を止める薬だ。注入が始まった。奥様が聴診器で心音を聞いている。そしてそれが徐々に弱くなっていくのは肉眼でも判った。そしてとうとう心臓が止まった。午後10時。

 ・・・・・終わった。総てが・・・。悲しみと脱力感だけが僕を支配していた。

 『ありがとうリッキー。お前に合えて本当に良かった。たったの4年半だったけど、おまえのお陰で、僕の人生の中で僕が一番輝いていた4年半だったよ。ありがとう。もうお前の嫌いな東大病院にも行かなくていいし、辛いゲーゲーもないンだよ。安心してネンネしなさい。お前は僕の自慢の犬だった。もしも生まれ変わるときがあったら絶対にサインを出してね!絶対僕が飼うから。』

 今リッキーは病気がちのひ弱な肉体から離れて旅立った。もう病気で苦しむことはない。最初から命と命のお付き合いをする覚悟で飼った犬だ。肉体は今いつもの布団でいつも寝ているような姿で僕のすぐ脇にいる。もう永久に動くことはない。


[火葬]2005年04月22日
 家に連れてきたリッキーはまだ暖かく、柔らかかった。リッキーの腹時計ではすでにネンネの時間を過ぎている。いつものように布団を敷いてそこにリッキーを寝かせ、その脇に僕が添い寝して・・・。いつもとまったく変わらない。変わった事はリッキーの心臓と呼吸が止まったことだけ。
 時間の経過と共にリッキーが徐々に冷たくなってきた。身体をさすって体温の低下を阻止しようとしたが無駄なことだった。時折筋肉がピクッと動くような気がして、何度も眼で確認しようとしたがそれはなくただの気の所為だった。
 昨夜は当然ながら眠れなかった。うとうとするとすぐにリッキーの夢を見て起きてしまう。仕方がないのでリッキー物語の続きを書いていた。本当のことを言うと彼が逝った時なんて、思い出したくもない事件だ。しかし、犬の心筋症の話などはインターネットで検索してもあまりヒットしないし。ヒットしても詳しくはない。僕が少しでも正確に記述しておくことが、これからの何匹もの犬に役立つ事もあるかもしれない。そう思うと時間が経って記憶で書くよりも、記憶に新しいうちに記述することがリッキーの存在意義であるような気がした。
 コンピュータに向かう僕の視野の中には布団に寝転んだリッキーがいる。しかしそれは日常の光景なので、何の不自然もない。リッキーが逝ってしまったなんてとても思えない。ラブも遠くから匂いを嗅ぐだけで近付かない。理解しているようだ。明日は出来たら火葬してしまいたい。朝イチで電話して聞いてみよう。それまではずっと抱いていたい。
 すでに冷たくなって、硬くなってしまったリッキー。まだどこかが動いていそうな気がして仕方がない。抱きしめながら今までのことを考えていた。どこにこんなにあったのかと思うほど涙が出てきて仕方がない。朝になって女房も起きて来ない。きっと昨夜は眠れなかったのだろう。毎朝子供の登校に合わせて5時に起きるのだが、この日は20分過ぎても出てこなかった。で、起こしにいった。女房・子供に僕がこんなに泣いているところを見せたくはない。だから、女房を起こしてからはリッキーには付かなかった。付けば涙が出てきてしまうのだから・・・。
 朝八時に電話した。丁度、今日の午後1時半が開いているとの事。リッキーの形がなくなることが決まった瞬間だった。午後の診療を休診にした。リッキーの大好きなおやつ、好きだったぬいぐるみ、そして僕の匂いの付いたシャツをお供えに持った。女房が気を利かせてリッキーの切った耳を出してきた。これも一緒に焼いてもらおう。
 家を12時50分に出た。焼き場は『大宮武蔵野ペット霊園』というところ。
寝たように横たわるリッキーを抱き上げて車に乗せた。『最後の抱っこだョ』と言いながら。本当はいつもの定席である助手席に乗せてあげたかったが、大きすぎて身体を折らないと助手席には入りきらない。仕方なく後部座席に横たえた。途中アヒルを育てたことでTVなどでも評判になったモクちゃんという犬がいる花屋さんに寄って、供える花を買った。
 火葬場に着くと担当の人が待っていてくれて、焼却炉の前まで車のまま行くように指示を受けた。そして用意された火葬台に乗せた。そのときリッキーの鼻から粘液のような物を出した。慌てて首を持ち上げ、それを防いだ。火葬台は前の動物を焼いた所為か熱かった。そこにリッキーを横たえた。もうすぐリッキーとお別れ、もうどんなことがあってもこの姿を二度と見ることが出来ないのだ。眼に焼き付けなくては・・・。
 お花や持ってきたお供え物を供えた。大好きでよく自分で敷いていたバスタオルだけは許可されなかった。そして『お別れです』と言われてみんなでリッキーに触れた。もうすっかり硬くなってしまったリッキー。冷たくなっているが、筋肉の大きさ、形、付き方は僕の手が覚えている。『リッキーだぁ』と僕の手が本物のリッキーであることを僕に伝えた。そして肉球に触ったのが最後だった。『それでは合掌お願いします』と言われ、リッキーは炉の中へ運ばれた。そしてシャッターがゆっくりと降ろされた。『終わった』と思った。途端にゴーーーという音がして、炉に火が入ったことを僕は認識した。女房が来て『耳入れなかったね』と言われた。何も考えられない僕は、切った耳を入れるのを忘れていたのだ。で、駄目元で『今から入れられませんか?』と聞いてみた。理由も話した。『小さい物でしたら覗き窓から入れられますので』と言われたので、手渡して後から入れてもらった。
 それでは待合室でお待ち願いますと、少し離れた待合室で待たされた。時間にして約一時間半。途中、姉に仕事があるとの事で母と共に帰っていった。僕は待っている間、時折ウトウトとした。リッキーの夢ばかり見ていた。
 『終わりましたので先ほどのところに行って下さい』と言われ、言葉に従った。行ってみるとすでに骨になったリッキーがいた。もはやそれにはリッキーの面影さえもなかった。骨壷を選んで最初の一つを女房と二人でお箸でつかんで入れた。そして舌骨(のど仏)と頭蓋骨を残してみんな骨壷に入れた。入りきらないので、係りの人が輪ゴムで束ねた割り箸で潰して詰めてた。形が変わったとは言えリッキーを潰されることに心が痛んだが仕方がないこと。きっとみんなもそうしているのだろうと思って、自分にそう言い聞かせた。そしてほとんどの骨を入れ、残りの細かい骨は係りの人が手で集めて入れてくれた。そして舌骨と頭蓋骨を入れた。頭蓋骨はやはり入らなかったので一部を潰して入れた。骨壷の大きさはほぼ人と一緒だった。
 再び待合室に通され、骨壷を桐の箱に入れて布の袋を掛けて完了。70000円の支払いをして帰路に付いた。
 終わった・・・これで・・・総てが。
 家に着いたリッキーは家のみんなが見える場所にある棚に居場所を変えた。いつもの場所はみんなが見えないので、ここが良いとの女房の意見だった。墓には入れない、せいぜい我が家の庭に埋けるまでだ。例え形が変わってしまってもリッキーだ・・・離れたくない。そう思ってのことだった。
 今は形を変えたリッキーがいつもみんなを見守ってくれている。

[その後]2005年04月24日
 昨日は従業員から『何も出来ないのですが、リッキーに・・・』と言って従業員が花束をくれた。今日はその花束から溢れる香りが部屋に充満していた。
 今日は日曜なので、本来なら海や渓流に足を運んでいるのが常だった。しかし、流石に何にもする気が起きず、家でダラダラと一日を過ごした。唯一やった仕事といえばラブを風呂に入れたこと。
 ここの所、目を瞑ればリッキーの元気な頃の姿が映り、眠ることも出来ないでいた。眠たいので一生懸命寝ようとしても、ウトウトするとリッキーの夢を見てしまって目覚めてしまう。こんな晩が2晩続いたので、きょうは眠れるかと思ったものの、やはり同じだった。そして今日も眠れないと思った朝方、急に深い眠りに落ちたようだ。眼が覚めると午後だった。仕事はいくらでもある。でもそれらをやろうと思っても重い腰が上がらない。このままでは駄目になってしまうと思った僕はラブを風呂に入れることにした。ラブは風呂が大好きなので呼ばなくても入ってくる。いままで2頭を入れていたのでとても楽に終えてしまった。・・・・・この物足りなさは何なのだろうか?何をしても物足りない。何かスコーーーンっと抜けている。思い起こせば最初の頃、水嫌いなリッキーを風呂に導くまでは大変だった。最後には力づくで引っ張り込んだりもした。色々と手が掛かったリッキーだったが、もうそれもない。

2005年04月24日
 相変わらず眠れない。朦朧としたまま一日を過ごした。
 夕方、かかりつけの獣医さんから大きなお花とお手紙を頂いた。早速読んでみると『・・・深い愛情をもって一緒に生活されて来たからこそその旅立ちは酷であって、慰めの言葉もありません。リッキーちゃんは小さな頃から大病と闘い、大きな手術も乗り越え、心臓病のハンディもかかえながらも最後まで御家族の深い愛情のもとで精一杯命を全うされたと思います。リッキーちゃんは沢山の試練を経験してしまいましたが、飼い主が管理人さんだったからこそ乗り越えられたものと思っております。・・・』とのことが書かれていた。・・・とても嬉しかった。この獣医さんは獣医さんというよりは動物が大好きで仕方がないという感じの人で、当然ながらリッキーもとても可愛がられていた。奥様は大型犬が好きで、飼いたいのだそうだ。しかし今は拾った犬を飼われているとのこと。とても情の厚い先生だ。リッキーの安楽死を決断したとき、そこに居たのは獣医の先生夫婦、そして僕の家族だけだ。リッキーがすぐ足元で苦しんでいてその対処法がない状況。その決断に於いて沢山の苦悩が伴ったが、その判断が正しい物であったか否かは沢山のの意見がある所だろう。しかし、その判断に間違いがあったら獣医さんもリッキーを愛してくれていたのでこのような手紙をくれなかったことだろう。そう思うと、とても嬉しく思った。ここにかかりつけの獣医さんにお礼を述べたいと思います。手紙を頂いてかなり気分的に落ち着いた。とは言え、一日に何度もリッキーのことを思い出し、涙し、頭がボーっとしてしまう日が続いている。 


[四十九日]2005年06月08日
今日はリッキーの四十九日。一つの節目。
 もう何にもして上げられない。遺骨を抱っこして、手を合わせて・・・しばしの時間を費やした。リッキーと過ごした楽しかった日々が走馬灯のように現れては消え、涙と笑みの両方が僕を支配した。
ペットロス症候群・・・ペットを失うことによりうつ状態になること。僕の場合、うつ状態にはなりません。勿論、リッキーのことを思い出してしまったときには悲しい気持ちから言葉はなくなってしまいますが。普段は普通にしています。だからペットロス症候群という物ではないかもしれません。時々思い出すと凹むだけです。これの繰り返しです。そしてその回数は徐々に少なくなって来ています。時間だけが薬だとよく言われますが、まったくその通りだと思います。いつまでもこんなでは仕方ありません。きっと僕が落ち込むことを極端に嫌ったリッキーのことですから、僕がこんなではあの世でリッキーは悲しんでいる事でしょう。
 こんな中、人生において僕が最も影響を受けた人が6月1日の朝、逝ってしまった。リッキーに続いてのダブルパンチ。1年半ほど前両側性の脳出血(古くは脳溢血と言っていた)に罹患し、運動野がやられてしまったのでほとんど動けず、リハビリに励んでいた。僕も水盤を持って行って、特注のめだか竿を和竿屋さんに頼んで作って頂き、プレゼントして・・・水盤に水を張って採って来た天然のメダカと買ってきた金魚を泳がせ、何とか釣りができないものかとチャレンジしてもらった。当人はたいそう喜んで久しぶりに釣りに挑んだ。餌は赤虫。僕が餌を付けてあげると上手い具合に釣り上げた。笑顔がこぼれた。僕も嬉しかった。しばらくすると魚が学習してしまって餌を食わなくなった。すると動かない手を微妙に動かし、誘いを掛けて見事に釣り上げた。流石にメダカは釣れなかったが、本人は充分に納得してくれたようで。帰り際、わざわざ呼ばれて『○○○ちゃん(僕の名)、ブォビィバボ』と。何故か僕の名前だけはしっかりと発音できる。運動野がやられているので口も思うように動かないから発音しても何を言っているのかはわからない。しかしそこは長年生活を共にしてきた奥さんが通訳してくれて『「ありがとう」ですって』。とても嬉しかった。同業者のお偉いさんなので、彼の地位を利用しようと沢山の人が集まった。僕もそう思われたのか、一時危ないこともあったが、地位や名誉に一切興味を示さない僕を理解してくれて、僕には最後まで僕の希望通り“利害関係の無い仲”で居てくれた。釣りにあっては仕事のことと絡めたくない。仕事が絡むと釣りが楽しくなくなってしまう。だから僕は気に入った人としか釣りに行かない。そういうことを総て理解してくれた人だった。当然、元気なときには何度も釣りに出かけた。

 明日は久しぶりに釣りに行ってみようと思っています。僕の渓流釣りのお師匠さんからの依頼で『所ジョージの目がテン』という番組でイワナ・ヤマメの特集をやるようで(7月10日放送予定)それに出演させる生きたヤマメが必要とのこと。『こんなときにこんなことを頼むのは本当に申し訳ないが、イワナはいるのでヤマメだけで良いので釣ってきてくれないか?生かしたまま持って帰る技術と、在来種のヤマメとそうでないヤマメの区別が出来る人は管理人さんしかいないから。』と言われてしまった。僕も“もう永久に釣りには行かないのではないか?”と思うほど魚釣りに固執しなくなってしまっていたので、こんなチャンスを生かさなければ本当に行かなくなってしまうと思えたので引き受けた。
 果たして明日はどうなるか?


[初めての釣り]2005年06月09日
 朝霧立ち込める渓、まだ薄暗さが残る渓に立った。久しぶりに感じる山の空気。ひんやりとしていて心地よい。渓のせせらぎも僕を歓迎してくれているようだ。久しぶりに“山”を身体で感じた。と言ってもここは高層ビルが立ち並ぶ中の渓。最近の在来種ヤマメは山奥には居ない。現在、放流は発眼卵を源頭放流されてしまうのでよほどの渓でない限り、今流行りのゴマ(背の黒点)が多くて鱗がギラギラし、ヒレが小さな放流魚だ。見た目に品がない。よって、綺麗なヤマメを釣るにはこういう都会(?)の中を流れている放流する価値のないような場所に多い。多いとはいってもすでに魚が棲めない環境になっている渓の方がよっぽど多いのが現状だ。
 早速釣り出すといきなり心地よい魚信。反射的にアワセをくれると共にかすかな重量感と心地よい引きが僕の右手に伝わった。小さいが魚を傷付けるわけには行かない。タモ網を出して丁寧に取り込んだ。タモに納まったヤマメはゴマが少なく、充分に綺麗だった。しかしその魚をタモに入れた瞬間、リッキーのことが脳裏をよぎった。・・・そう、あの時と同じ。・・・僕がこの魚の命を牛耳っている瞬間なのだ。リッキーもその最後は僕が命を牛耳ったのだ。急に魚の姿が判らなくなるほどの涙が溢れてきた。しかし、依頼されて来ているので放すわけには行かない。痛む心を振り切ってヤマメを活かし魚篭に水を張って入れた。渓は水が少ないのでポイントが少ない。ポイントからポイントまでが離れている。しかし『夏ヤマメは足で釣れ!』の諺通り足を使っての釣りを強いられた。二匹目が掛かった。また同じ悲しみが・・・。・・・駄目だ。真剣に釣りができなくなってきた。考えてみれば四十九日が過ぎたからって急に悲しみがなくなるわけではない。とんでもない約束をしてしまったものだと後悔する事しきり。結局、涙と一緒に5匹を釣ったところで耐えられなくなって嘔吐してしまった。みんな20pに行くか行かないかの小物ではあったが、内、一匹は背中にゴマがまったくない美人さんだ。その躰には透明感があり、ヤマメ特有のパーマークが奥の方に見える感じがする。パーマークは少々乱れているものの、撮影には充分耐えられえる魚だと思った。

久しぶりの寝不足や疲労もあるだろうが、やはり心の傷が開いて気分が悪くなり、嘔吐まで行ってしまった。一旦竿をたたんで車まで戻った。
 魚をタマネギの袋に入れて川に埋けた。帰るときまでに元気を落とさないようにして車で少々の仮眠を取った。眼を覚ましたが気分はすぐれない。もう帰ろうか?と思ったものの、まだ時間は充分にある。もう少し釣ろうかと思って近くの渓を廻って見たものの、どこも減水で良い魚が釣れそうな気がしない。依頼主のお師匠さんに電話して今の僕の状況を話した『5匹しか釣れない。これ以上は気が狂いそうだ』と。苦渋している僕の心を知っているお師匠さんは『ありがとう。よく頑張ってくれたね。充分だよ5匹で』と言ってくれた。
 納竿した。タマネギで生けておいた魚を回収して帰路に付いた。

 まだ釣りをするには尚早のようだ。

最後の日のリッキー・・・・・