フライフィッシングとてんからとの違い


フライフィッシングとてんからという釣りは、ほとんど重さの無い毛鉤を糸の重さだけで投げて魚を釣る事が同じなので同一視されがちですが、実の事をいうと重なる部分はそこだけで、その他のほとんどが違う釣りです。

釣りの違いはその釣りが出来た経緯(発祥した年代とか場所など)とその釣りの目的によって違いが出ます。

 フライフィッシングの発祥はイギリスとされていますが、最初の文献は、西暦200年頃にアエリアン (Claudius Aelianus) が書いたとされる博物誌「De Animalium Natura」(デ・アニマリウム・ナチュラ[自然学])の中にマケドニアのフライフィッシングについて論じられていたのが最古とされています。その後その釣り方はイギリスに渡り、修道女ジュリアナ・バーナース(Juliana Berners, c.1460- ?。実際はある男性が彼女の名前を使って書いたというのが事実みたいです。)


Juliana Berners パクリ画像です。

が書いた、最古の釣りの教典と言われる「A Treatise of Fishing With an Angle」


これもパクリです。

に掲載されたことからイギリスが発祥となったらしいです。でも、文献としての発祥はマケドニアだろうと思いますが、エジプトのピラミッドの壁画にもそれらしいものがあるとのこと。


これがその壁画です。(『播州針』より)

話が逸れましたので話を元に戻します。当時のフライフィッシングはその目的はあくまで食材の確保であり、現在のようなC&R(キャッチ・アンド・リリース)のような優雅な釣りではなかったようです。その後、イギリスに渡ったフライフィッシングも当初は食材の確保としての釣りでしたが、徐々に社交としての一面を持つようになって行きます。それはイギリスでフライフィッシングを行う川がほとんど個人の私有地だったことに起因します。要は広大な土地を所有する、いわゆるお大臣(伯爵など)が川の所有者であり、その人たちの庭(土地)に川が流れていたのです。そういう川(他人の庭)に行って釣りをさせてもらうのですからそれなりの身なりが必要になったのです。当然ながらそのようなお大臣は顔が広くて沢山の人脈を持っていますから、仕事をもらったり下請けを探したりするのには好都合だったわけです。このように『遊び』という要素に加えて『仕事』との絡みが出てきたのですから汚い服装で行くわけには行かなくなりました。それでイギリスの釣具店ではジャケット、帽子、蝶ネクタイ・・・etc.の身嗜みグッズも売られていた(いる?)のです。釣りに行く人は釣具店で釣り道具と一緒にそういう身嗜みグッズも購入し、お洒落をして出掛けたのです。このように仕事が絡んで来ると釣った魚を大量にキープしたりすることは出来ませんのでC&Rが当たり前となり、特別な日や、時には少量をキープして所有者と一緒に頂くくらいの釣りになったのです。要は社交と遊びの釣りへと変貌して行きました。

 一方、日本のてんからの発祥は全く判っていません。てんからが最初に文献に登場したのは1838年とのこと。秋田県雄物川周辺でヤマメやウグイを釣り、釣行記「萬之覚」の中で「宮内テンガラ而、鱒ノ子舟場上ニ而十余釣居候」と記録されているとのこと。また毛鈎としての最初の文献は播州釣針協同組合創立50周年記念誌『播州針』(勝部直達著 平成元年11月30日発行)によると、1678年に刊行された『京雀跡追』に「大しんもん町、魚釣針屋有、はえ頭その外色々しこみのつぎさお品々有」とあり、伊右衛門という毛鉤師がいたことを掲載しているそうです。しかし、同書には『1636年11月1日にポルトガルから現在にして27sの釣り針を輸入した記載があり、その中に毛鉤もあったのではないか?現にその後我が国の要人たちがポルトガルやオランダに大量に注文を出している』と書かれています。加えてその後わずか40年で上記の伊右衛門の記載があり、それまでは『蚊頭』と呼ばれていた毛鈎が『蠅頭』という記載になっています(蠅は英語でフライです)。これらの事などからして、日本の毛鈎はポルトガルから入って来た可能性につてい記載されています。ただ、日本だけではなく、世界中から出土されている鈎の多くに、異常に軸(シャンク)が長い物が見受けられます。例えば下の画像は青森の三内丸山遺跡から出土した釣り針です。


軸が長過ぎると思いませんか?・・・パクリ画像です。

僕が考えるに、これらは鳥の羽根ではなかったかもしれませんが(もしかしたら羽根だったかもしれません)、何かしらをここに結び付けて疑似餌として釣っていたのではないかと想像してます。でなければこれほどまでに軸が長い必要は全くないですし、本当に初期の頃の鈎はそれほど軸(シャンク)が長くありません。


世界最古の鈎。南太平洋の国、東ティモールから出土(2011年11月25日 asahi com.)


横須賀の夏島貝塚から出土

となると世界的に見てもどちらが先か?という確証なんてなくなってしまいます。こういう鈎が様々な場所で発生し、受け継がれ、そしてそれは段々と小型化し、淡水でも使われるようになって、最終的に物資の流通が少ない山間部に伝わって行きます。山間部ではとても重宝され、様々なマテリアルで餌の代わりが作られ、最終的に手に入れやすい鳥の羽根が功を奏すことを編み出し、それがまた伝播して職漁師たちもこれに目を付けて使い出した。・・・というのが僕の推論です。その後は先の【自分の釣りを作るのがてんから】に書かれたような推移を辿って行きます。このように日本における毛鉤釣りの目的は、社交に変貌していったイギリスのフライフィッシングと違って、一貫して食材の確保ためだけに行われてきた釣りです。

 このような経緯から、当然釣りも変わって来ます。社交に発展したフライフィッシングは沢山の魚を釣るというよりも、御洒落して・・・女性が着飾って都会に出るような釣りになって、釣果は二の次・三の次になって行きました。加えて、アメリカに渡ったフライフィッシングはドライフライという、綺麗な毛鈎を眺めながらそれにアタックして来る魚を見て釣って楽しむという新たなジャンルを得、一段とその優雅さを増していきます(イギリスでのフライフィッシングはウェットが主だったようです)。ですから(特にドライフィッシングでは)毛鉤も見て楽しめなくてはならないので、ファンシーな毛鈎が多く出現し、今でも見た目でも楽しめる毛鈎がもてはやされます。一方日本の毛鉤釣りは、そのような見た目はまったく考慮に入れられず、とにかく一匹でも多くの魚を釣る為の釣りに変貌して行きました。特に食料の流通が少ない山間部ではその傾向が強くなって行きました。ですから、毛鉤は見た目よりもとにかく機能的である事を良しとしました。要は、綺麗ではありませんが、安価で安易に巻けて沢山の魚が釣れる毛鈎と変貌を遂げたのです。見た目を気にしないのですから、素材的にも身の回りにある物はなんでも使ったようです。当時は山奥に釣具店などはなかったでしょうから、竿は自分で切ってきた竹を乾燥させた物、ラインは当時物資の運搬などのために飼われていた馬の尻尾の毛(馬素)、毛鉤にあっては当時沢山居た鳥の羽根は勿論、植物を乾燥させた物(ゼンマイの綿毛など)や生活用品(電線や金だわしに至るまで何でも)を利用して作られていました。
 こんなことですから、道具にも優雅を良しとするフライフィッシングと、見た目は気にせずにとにかく釣れる事に重点を置いたてんからでは自ずと違って来ます。フライフィッシングでは今日その時に自分が使いたい毛鉤を選び、それに合わせてラインが決まり、ラインが決まるとロッドが決まり、ロッドが決まるとファッションが決まるという選択になります。よって、沢山のラインとロッドを用意して行くことが必要になります。一方てんからは自分が使いたい毛鈎を使うのではなく、ラインや竿はほとんど一緒ですので考える必要はなく、唯一考える事は魚が口を使いそうな毛鈎操作が出来る毛鉤を使うことです。要は魚に毛鉤を選んでもらうって事です。毛鉤という無機質な物に動きを与えて生命感を醸し出すのがてんからですから、その操作がしやすい毛鈎をチョイスするのです(ですからてんから師はあまり沢山の種類の毛鈎を用意しません。普通は一種類、多くてもサイズを変えて3種類位だったようです。)。要は使う毛鈎を誰が選ぶのか?という一番最初のところから異なっているのです。

 釣り方に於いても、釣果にこだわらないフライフィッシング(社交ですからこだわってはいけないのです)では見た目を重んじます。一匹の魚を釣るにしても格好良い道具で、見た目に素敵な毛鈎を使って、格好良く釣る必要があります。釣果も沢山釣ったというより、釣れなかったと言った方が社交上は得策ですので、わざと釣らないことさえあったでしょう。とにかく人を意識しての釣りです。例えば誘い一つとっても、短い竿を使って手を大きく上げて糸を立てて釣るような不格好な釣りはあまりしません。そうしなければ釣れないような魚は釣らないで良いのです。よって、縦の誘いはほとんどしません。横の誘いがメインです。一方てんからは釣果重視ですから格好などは全く気にしません。釣果重視です。見た目を気にしないというより、人がいるような場所では竿を出さないので誰にも見られないのですから、その必要はまったくなく、それよりも自然に融け込む派手でない格好の方が好まれました。釣り方もこだわりを持たずにあらゆる手段をもって魚を掛ける事に重点を置きました。先ほどフライフィッシングの所で述べた誘いも、手を大きく振り上げて縦の誘いを掛ける事などはてんからでは常套手段です。水生昆虫が幼虫から成虫になる時に川底から水面に向かいますが、その動きを毛鈎で真似るのです。要はフライフィッシングでいうマッチ・ザ・ハッチと同じように、マッチ・ザ・アクションなのです。そこに格好の良さはまったく存在しません。

 こんなことから毛鉤自体にも大きな違いが出ました。フライフィッシングではより虫に似せることが釣果を上げる事に繋がるからです。また、釣果はさておき、とにかく美しい毛鈎も発展して来ました。要は毛鉤を見る側が人か魚かというだけのことですが、とにかく見た目を重んじていたわけです。ところがてんからは毛鉤はほとんど意識しません。意識すべきはその動きだからです。そこで当然ながら魚目線で虫に似た毛鉤(フライ)を虫に似せて動かせば(てんから)より沢山釣れるのではないか?という考えが出て来るのです。要はフライ・フィッシングとてんからの融合です。これが近年主流になっているアーバンテンカラ(都市型テンカラ?)と言われるものです。(故)堀江渓愚氏が開眼し、その一部は吉田孝氏(元フライマン)が継承し始めています。これは確かに釣れます。両方の美味しい所を頂いていますから。しかし、これは彼らの技術だから釣れるという部分もないわけではありません。よって、生粋なてんから(ここでは古式毛鉤釣りという意味です)とは少し違っていますが、釣りは日々進化するものですから、これも新たなテンカラの発生として充分に意義のある物だと思います。しかし、この事によって僕がわざわざこんな事を書かなくてはならないようになるまでてんからとフライフィッシングがゴチャ混ぜになってしまったことは確かです。テンカラの道具で釣っていても、その釣り方がただ毛鈎を流すだけ(ナチュラルドリフトだけ)で釣っていたのではフライフィッシングの範疇となり、てんからとは言い難いです。尚、このように書くと誘いを掛けないで毛鈎だけで釣るのがフライフィッシングで、毛鉤は適当で誘いを掛けて釣るのがてんからであると思われてしまいがちですが、フライフィッシングでもストリーマーに代表されるように毛鉤を動かす釣りもありますし、てんからだってナチュラルドリフトする釣り方もあります。よって、その辺を混同しないようにする必要があります。要は、主な釣り方について書いただけで、そこから波及した釣り方に関して一緒くたには語れません。

 このように、その釣りが発祥してからどんな目的をもって出来上がって来たか?という経緯を知れば、フライフィッシングとてんからには沢山の大きな違いがあることが分かると思います。当然道具から釣り方から総てにおけるほとんどで違っていて、同じ事は毛鉤を使った釣りである事、そしてその毛鈎をラインの重さで飛ばして釣る事くらいなのです。よって、フライフィッシングとてんからは似て非なる物であることは明白で、それどころか比較対象にすらならないほど違う事が解かって来ます。てんからはどちらかと言えば毛鉤を動かすことによって口を使わせるという意味からすればフライ・フィッシングよりもルアー・フィッシングに近い釣りです。

こんな事からもてんからとフライフィッシングはまったく違った釣りとしての認識が必要です。